新潟県第3の都市「上越市」。人口134,758人、面積249.30km2。新潟県は、地域分けで上越・中越(長岡圏)・下越(新潟圏)・佐渡にわけられる。上越市は、越後の中でも京に近い、上の越後である。
 上越市は、戦国武将"上杉謙信"の城下町。謙信は、戦国時代の越後の守護代であり、仏に仕えた身分であった。領土欲がなく、曲がったことが嫌いで、義理人情を重んじた武将であったと言われている。上越市は、春日山城を中心にした城下町ではあるが、上杉家が国替えにあい会津(その後、更に米沢へ国替え)へ移った為、城下町としてはあまり発展する事はなかった。もし、上杉家が江戸時代も上越に残っていたならば、上越市のみならず、新潟県は違った歴史を歩んでいたであろう。
 上越市にとっては、このような歴史上の"もしも!?"という分岐点を持っている。"第1のもしも"は、越後の中心地として、加賀百万石のような城下町になっていたかもしれない"もしも、である。

 上越市は、昭和46年4月に、商業都市であった高田市(人口7万人)と、工業都市であった直江津市(人口4万人)が合併して誕生した都市である。それから30年の間に、人口は約1万5千人増加した。上越市の合併効果調査では、合併をしなかった場合の人口増加想定値に比べると、1万人多く増加したと見ている。
 都市機能でも、高田と直江津の都市一体化が進んでおり、両市街地の中間地区(春日・新道)に新市街地が形成されてきた。この新市街地は、人口の伸びが著しく、30年間で約2万人の人口増加となっている。
 しかし、新潟県では第3の都市。県都「新潟市」と公共事業城下町「長岡市」の後塵に甘んじてきた。地理的には、独立の広域都市圏を形成してきた上越市ではあるが、高速交通体系が形成され、都市間競争が激化する中で、いかにして生き残ることができるか。
 今回は、新潟県シリーズ最後の都市、広域合併による特例市昇格を狙う「上越市」を探ってみたいと思う。

↑春日地区にある上越市役所
→高田地区のメインストリート「本町」のアーケード街
 明治維新時、廃藩置県によって、多くに藩が整理統合され県になった。その際、何度も県の合併分離が繰り返されて、今の都道府県になったのである。富山県・福井県などは、石川県からの分離を国に求めて、激しい陳情合戦が行われて分県が実現した。この時、富山の分県陳情から数ヶ月陳情が遅れた為、分県が出来なかった地域がある。それが「松本県」。分県実現寸前までいきながら、これ以上の県増加を好まない国の意向で実現しなかったのだ。
 もし松本県が実現していたならば、実は、上越地区は長野県になっていたかもしれないのです。分県しても、人口規模が少ない長野県側に配慮して、隣県の新潟県上越地区を加えることが検討されたのです。歴史のいたずらとも言えるのでしょうが、もし長野県上越市になっていたならば、今の上越市はもっと違った顔を見せていたかもしれません。"第2のもしも"です。
 もしも、長野県上越市であったならば?。
 想定その1、長野県唯一の港湾を有する事となり、新潟港・伏木富山港に匹敵する重要港湾になっていた可能性があります。上越ー長野間は、物流ルートとして大きく整備され、県の動脈として位置付けられていたのではないでしょうか。そして、新潟港・伏木富山港に対抗して、直江津港が、新産業都市計画に指定され工業都市として、もっと発展していた可能性もあるのです。
 想定その2、空港が整備されていた可能性があります。山間部に囲まれ盆地の長野市にとって、空港整備は非常に難しいと考えます。現在は、長野市よりも盆地の面積が広い松本市に空港が整備されましたが、長野県上越市であったならば、平野部が広い上越市に空港が整備されたかもしれません。
 想定その3、長野県第2の都市として発展した可能性がある。長野市に対して、山一つ隔てていることから、都市としての独自性も保ちながら県第2都市としての恩得も受けていたでしょう。今の長岡市や松本市に匹敵する都市になっていたのではないだろうか。
 想定その4、県第2都市として、独自経済が発展した可能性がある。特に銀行・証券などの地元金融機関が成長していたことが考えられる。
 想定その5、北信越の中で、存在感のある都市となっていた可能性がある。現在の北信越5県に対して、北信越6県になっていたならば、今より北信越の緊密間は高くなっていたものと考えます。北信越の連結都市として、重要なポジションになっていたでしょう。
 歴史に"もしも"は禁物なのかもしれないが、上越市は、もっと発展していた可能性があるだけに残念でならない。上杉家同様、(領土)欲が少ない土地柄なのだろう。 しかし、都市間競争に向けて、上越市の挑戦が、今始まろうとしている。
 上越市では、先の高田市・直江津市の合併が成功したと分析している。確かに、人口も増え都市機能も拡充されてきた。地名も賛否両論あるものの、全国規模の名前になっている。そこで、上越市合併以後も、更なる合併話しが、出ては消えていった時期がある。第3都市からの脱皮を目指し、30万都市構想を掲げた市長もいた。しかし、実現までは至らなかったのです。
 合併特例法の期限が近づいている。国・県の後押しもあり、新潟県では、市町村の合併構想は順調だ。上越市でも、賛否あるものの、大同合併へ向けての取り組みが進んでいる。
 上越市のポジショニングとしては、特例市・中核市昇格を目指したいところであろう。しかし、以外な事に新潟県から示された上越地区の合併パターンは、12市町村の合併で、人口は19万8千人。長岡地区の中核市昇格要件同様、上越市の場合も、わずか2千人特例市昇格要件に足りないのだ。
 合併話合いは、難航はしているものの、平成15年3月6日に、上越市・牧村・清里村・三和村・名立町・板倉町・浦川原村・大島村・安塚町・中郷村の10市町村により上越地域法定合併協議会準備会が設立されました。そして現在は、柿崎町・大潟町・吉川町・頸城村が加わり、14市町村による本格協議が始まったのです。新潟県の思惑を超えて、特例市要件を充たした、人口21万人の「(新)上越市」が2005年3月に誕生するのです。
↑謙信公大橋の開通で春日地区と上越ICが結ばれた
都市名 人口(H14.3.31) 面積(H12.10.1)
上越市 132,925 249.30
安塚町 3,743 70.23
柿崎町 12,209 85.39
大潟町 10,665 16.32
吉川町 5,621 76.61
名立町 3,424 65.94
浦川原村 4,309 50.64
大島村 2,491 71.64
牧村 2,964 61.35
頚城村 9,978 38.30
清里村 3,276 37.54
三和村 6,401 39.30
板倉町 7,725 66.51
中郷村 5,234 16.32
合計 210,965 945.39
 政令市を目指す新潟市や中核市を目指す長岡市同様、上越市も、目標となる特例市効果が、合併話しを後押しした形だ。特に、新井頚南地域から板倉町・中郷村が加わったことは意義が大きい→。新井市は、上越市に取り囲まれた形となり、今後の新井頚南地域合併交渉にも影を落とすこととなろう。済し崩し的に、新井頚南地域が上越地域に合流する可能性も出てきた。
 かつて30万都市を模索した時期もあるだけに、糸魚川地域も含めた「中核市」昇格構想が出てくる可能性もある。
 今であれば、上越地域・新井頚南地域・糸魚川地域を合体させれば、なんとか30万規模になる。しかし、将来的には少子化の中、30万人を切るだろう。やるなら今しかない。そこまで構想を膨らませることができるかどうか。
 戦国時代の"第1のもしも"、明治維新の"第2のもしも"、そして今回が、ひょっとしたら、新世紀の"第3のもしも"になるかもしれないのです。
↓新潟県が示した、上越周辺地域の合併パターン案。
都市名 人口(H14.3.31) 面積(H12.10.1)
<上越地域>    
上越市 132,925 249.30
安塚町 3,743 70.23
柿崎町 12,209 85.39
大潟町 10,665 16.32
吉川町 5,621 76.61
名立町 3,424 65.94
浦川原村 4,309 50.64
大島村 2,491 71.64
牧村 2,964 61.35
頚城村 9,978 38.30
清里村 3,276 37.54
三和村 6,401 39.30
(小合計) (198,006) (862.56)
<新井頚南地域>     
新井市 28,007 175.97
妙高高原町 6,599 128.57
板倉町 7,725 66.51
中郷村 5,234 16.32
妙高村 5,035 140.78
(小合計) (52,600) (555.58)
<糸魚川地域>    
糸魚川市 31,890 466.62
能生町 10,916 150.49
青海町 9,994 129.13
(小合計) (52,800) (746.24)
合計 303,406 2,164.38
 これまで上越市は、第3の都市として、大きな存在感を示して来れなかった。そういった中で、新潟市は70万都市の政令指定都市昇格が確実で、更に新潟市の思惑とは関係なく、周辺都市との合併が進み最終的には85万都市規模となりそうだ。一方長岡市も、30万都市の中核市昇格が確実なうえに、森長岡市長は、40万都市を目指すと言う。更に、合併交渉が進んでいない三条燕地域や柏崎地域をも含んで長岡市の70万都市化・政令指定都市化も視野に入ってきた感がある。
 後塵に甘んじてきた「上越市」としては、最低限"特例市"獲りを確実にして存在感を示し、将来へのターニングポイントとしたいところだ。そして一気に"中核市"獲りを目指すことも検討する時期に来たと思われる。
 さて新生「上越市」であるが、課題なのが新市名。当サイトのBBSでも、新幹線の名称と紛らわしい・魅力に欠ける・安易なネーミングであるなど、名称変更の意見が多い。実際、今回の合併協議でも、上越市への編入で話しが進められているが、新市の名称に関しては、「上越市」に拘らないという意見が大半を占めているようだ。果たしてどのような名称が良いか、市民参加で決めてもらいたいものだ。
 上越市の課題は、都市機能が分散している事。中核市・政令市クラスであれば、都市の2極化は維持できるのだが、人口13万クラスで都市の2極化は、かなり厳しいであろう。しかし、対等合併である以上、何をするに対しても、両地区に顔を立てなければならない。
 都市整備も、JR直江津駅を橋上駅化↓したのに対して、JR高田駅周辺↑←も整備された。
 都市としての顔がはっきりしていない為、中心地域も発展しづらいと言える。もともと人口で勝っていた高田地区であるが、街の活気は乏しい。→
 しかし、違った見方をすれば、合併して人口規模が大きくなったことにより、インフラ整備は進んだとみる見方もできる。以前の駅舎に比べれば、JR直江津駅・JR高田駅は大変きれいになったのであるから。もし、合併していなければ、ジリ貧のまま、整備が進んでいなかったかもしれない。
 今回、じっくりとJR高田駅周辺を歩いたが、不思議な雰囲気の街になった。駅舎を見ると、一見西洋風と思いきや、しっかりみると思いっきり日本風なのです。特にアーケードは瓦屋根風と木造風の造りは、新しい感覚がある。
 一方、JR直江津駅は、JR高田駅とは対照的に、こちらは思いっきり近代的な造りである。
 北陸線と信越線が交わる接続駅の為、駅構内は広い。長年、駅の南北は鉄路で分断されてきたのだが、橋上駅の開業で自由通路が出来た。しかし、利用者にとっては不便そうである。どうしても、一端橋の上にあがらなければならないため、時間が要する。長いエスカレータやエレベータも設置されてはいるが、気楽さや、便利さは、ほとんど感じられない。やっぱり不便である。
 改札口↓もひとつしか無い為、橋上駅のわりには、橋の上は地味な印象だ。
 自由通路→もあるが、人通りは少ない。夜間の治安などが心配である。かなりの監視モニターを設置する必要があると感じられた。
 もともと駅裏は、都市化が進んでいない。モニュメントがなんとも虚しい。また橋上駅も駅機能しかないため、JR利用者以外のお客さんがいないのが問題だ。駅周辺に、物産センターなど公共性の高い施設を貼り付けることができなかったものだろうか。
 このことは、JR高田駅にも言える。主要駅には駅利用以外の目的で来る人々を増やす必要がある。両駅とも課題が多いと言えるだろう。
 更に上越市の場合、高田地区・直江津地区以外にも、都市機能がある。合併後、人口増が著しい春日地区・新道地区である。ちょうど高田地区・直江津地区の中間にあり、都市機能が充実してきた。今年5月に開通した謙信公大橋により、上越IC周辺開発地域との一体化が進みそうである。市役所・市民会館・市民プラザなどの公共施設もあるなど、今後はJR春日山駅周辺整備の必要性も感じられる。特に春日山城に近いこともあり、観光駅化を模索する必要があるだろう。
↓JR直江津駅の上越市案内版
 大都市でも、3極化の維持が難しいのだが、上越市の場合は既に3極化しつつある。
 この3極化は、上越市にとってプラスなのかマイナスなのか?十分考える必要があるだろう。特に、市の北に位置する直江津地区の衰退が著しく、今後3極化された地区をどのような都市プランを立てて、着実に実行していく事ができるのかが大切であると感じられた。
 更に、上越市は多極化へと進む。それは、北陸新幹線の上越駅である。北陸新幹線はもともと上越市を通らない構想であったが、さまざまな政治的思惑から建設ルートを大きく蛇行させて、上越市をかすめていく事となったのである。その為、新幹線上越駅は、市の南部、信越線の「脇野田駅」近辺↓に建設されるのだ。
 北陸新幹線の建設は、まだ行われいてないものの、この地域では今後、新幹線本体の建設・駅舎・JR信越線の新幹線駅乗り入れに伴う移設工事・駅周辺のアクセス道路建設など、都市基盤整備が一気に進むこととなる。つまり、上越市は南へと都市が拡大し、「4極化」されるのである。
 脇野田駅近辺は、商業地ではないが用地は十分ある。今後、新幹線駅周辺に大型の商業施設立地も想定される。特に、新幹線上越駅は、将来的には新潟方面へのルートも検討されるだろうから、新幹線上越駅を中心とした広域商圏も想定できるのだ。高岡イオンショッピングセンターなど、商圏力を半径50キロと想定した場合、上越市では人口40万商圏が可能となってくる。
 上越市の商業地は、まさに戦国時代に突入することとなる。しかし、人口13万規模では、いずれ脱落地域がでてくることは、間違いなく、上越市は難しい舵取りをしなければならない。
 そして、合併範囲が新井頚南地域へと拡大したならば、上越市には新井市の商業地も加わり、JR信越線沿いに、直江津・春日山・高田・新幹線駅・新井と、上越市は同規模都市には無い「5極化」へと拡大することとなるのだ。ちょっとした"ミニ北九州市"状態になる。
 しかし北九州市は、都市造りに失敗したと言われている。
 北九州市は門司・小倉・黒埼・若戸・八幡など核となる商業地が分散している為、博多に負けたとされている。近年、新幹線駅がある小倉を商業中心地にしようと取り組んだが、芳しい成果をあげられずにいる。
 上越市は、この北九州市の状況を参考に、どう核都市を棲み分けするか研究して欲しいものだ。
→上越市唯一の百貨店「大和上越店」。大和長岡店より新しく売り場面積も大きい。
 このように上越市の商業地は多極化へと突き進んで行く。しかし、現在の中心地は元気がない。
 これまでの商業地は、JRの駅周辺に発展してきた。
 ところが、上信越自動車道の開通で、これまで独立した商圏を有していた上越市も、都市間競争を意識せざるを得なくなってきたのである。
 冬季オリンピック開催以後、急速に都市基盤整備が進み、商業地の整備も進んだ隣県長野市が競合相手となってきたのである。
 もともと上越市は、県都新潟市へは135キロであるのに対して、富山市へは120キロ、長野市へは75キロと、隣県の県都の方が近いのである(距離データはJR在来線を参考)。新潟市・富山市へは北陸道が整備されていたのだが、100キロを超える距離感は、商圏のライバルとは成り難かった。しかし、これまで高速道が無かった長野方面へ上信越道が開通したことにより、約1時間で買い物に行けるのである。
 将来、北陸新幹線が開業すれば、更に商圏の競争が激化すると考えられる。幸い、長野市には、まだ巨大商業施設は無い。しかし、人口規模からすれば、十分に巨大商業施設ができる可能性がある。そうなれば、上越市の商業地は大きなダメージを受ける。
 上越市も商業地の活性化に取り組んではいる。高田の本町には、旧高田市役所に建設された雁木通りプラザがある↑。市民交流ふれあいの場を目的に、多目的ホール・48畳の和室・市民サロン・ボランティアホール・屋上庭園・市役所南出張所・コミュニティーFM局などが整備させている。本町のアーケード街に隣接し、商業地の活性化が期待されている。前回紹介した、長岡の市民センター同様、街の活性化に行政の集客力を活かす考えは、主流になりつつある。しかし、買い物してこその商業地である事を忘れてはいけない。
←副都心化が進む、上越IC周辺に立地するジャスコ。
→衰退化が進む直江津地区にあるイトーヨーカ堂。
 上越市には、かつて一世を風靡したパワーセンターがある。国道18号線沿いに立地する「ウィング上越」↑。郊外型安売り店を集めたショッピングモールは、物珍しさから遠くは長野市からも買い物客を集めたこともあった。しかし、安売りでは広域商圏にはならず、オープン時の華やかさはもう無い。
安い物を買うのに、高いガソリン代を払ってまで、買い物に来るかどうかを考えなくてはいけない。中心地からスーパーが無くなったのも同様の事。高い駐車料金を払って、安い物も求めるお客さんはいないのです。
 それでは、多極化した上越市の商業地活性化は、どのようにすれば良いだろうか。
キーワードはあえて鉄道とコミュニティバスだと言いたい。
 上越の各商業地は、駅に比較的近い。やはりこの事を活かす必要がある。新幹線開業後、在来線は第3セクターになる。公共性が高い運営が出来るのです。信越線の直江津ー新井間に、LRT並の軽量車両を導入し、15分間隔で運行させます。各駅には、コミュニティバスを連絡して、各中心地を回ります。鉄道バス共通の低額フリーパス券を発行する他、北新井・南高田駅・直江津駅周辺に大型の無料駐車場を設置して、自家用車客にも対応させます。そして各駅は個性溢れる街作りを目指します。
 例えば直江津駅はスリム化し、跡地に四年制大学を誘致。春日山駅は、謙信を題材とした観光地化。高田駅は、メイン商業地として商業再開発を図る。新幹線駅は、オフィスを中心としたミニ副都心化。北新井にプチニュータウンを建設する。また上信越自動車道と国道18号線が接近している新井市に、新ICを設置して回遊性の高い道路網を構築する。そして、全国の見本都市のような地域を目指して欲しいものです。
↑衰退著しい直江津駅前
 新生「上越市」は、どのような都市を目指したら良いのだろうか。かつて、2度の"もしも"があったが、上越市の可能性は無くなったのだろうか。
 私は、そうは思わない。今後、道州制論議が本格化するだろう。その際のキーワードは、"北信越"になるのは間違いない。上越市は、地理的条件において、富山高岡地区と並ぶ、好立地を有するのです。
 場合によっては、各県都同士で取り合いになるだろう「州都」問題で、棚から牡丹餅のように、上越市が州都になる可能性もあると考える。しかし、その為には、今しっかりとした取り組みを行わなければならない。
 それは、最低限「特例市」できれば「中核市」レベルの市町村合併をきちんと実現させること。そして、交通インフラを魅力あるものとすることです。特に交通インフラは重要だ。
 北信越の中継ポイントに位置する上越市は、道路網・鉄道網でも有機的に結ばれている必要がある。上信越道の四車線化・国道18号線(地域高規格道)の四車線化↑←・糸魚川松本連絡道路(地域高規格道)の早期実現などの道路網、ほくほく線ミニ新幹線化と北陸新幹線との連絡線建設(新潟特集PART2を参照)によって、上越市を中心に新潟方面・富山方面・長野方面へと、高速道・新幹線ルートを有するのです。そのメリットは絶大です。そして松本方面へのアクセスも確保することで、北信越での地位向上を図るのです。
 上越市が、更に取り組みたいのは、上越新幹線の名称変更。
 長野止まりの北陸新幹線は名称が紛らわしいとして長野新幹線になった。であれば、上越市を通らない上越新幹線は、いくら上州と越後を結ぶ新幹線だとしても、紛らわしいと言える。北陸新幹線開通を機に、上越新幹線を越後新幹線に改名するよう求める必要があるのではないだろうか。
 今後、(新)上越市の名称問題が、議論されると思われる。私が思うに、最近合併した各都市の新名称には個性が乏しいのではないかと感じる。よく知識人の方々は、全く新しい名称をつけると、「その土地の歴史や地域性を軽視している」などと批判される方が多い。上越市や北九州市をはじめ、最近では西東京市や四国中央市などの名称には、確かに疑問を感じるが、しかし、良く考えてもらえれば「東京」という名称も、歴史や地域文化を無視した安易な名称ということになる。でも、どうだろうか。今、「東京」の名称にケチを付ける人は、どの程度いるだろうか?。
 問題なのは、10年後・50年後・100年後に、その名称が魅力に感じて貰えるかどうかだ。都市というものは「破壊と創造」を繰り返すとも言う。前の名称を壊すのなら、創造性の高い名称を、考えてもらいたいものだ
2003.6.15作成
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