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新潟県第2の都市「長岡市」。人口19万1,749人、面積262.45m2(平成13年11月現在)。小泉首相の所信表明演説で、一躍有名になった「米百俵の精神」。それは、ここ長岡で生まれた話だ。明治維新の戊辰戦争で、長岡城下は焼け野原になった。この際に、長岡藩の支藩だった三根山藩(西蒲原郡巻町)から米百俵が見舞いとして贈られてきたのだが、これを急場を凌ぐことには使わず、藩の将来を担う人材育成に活かそうとしたのだ。藩の大参事小林虎三郎は、「国漢学校」を開校し、藩士の子弟から町民・農民の子供まで、上下の隔たり無い教育を行ったのである。その後、ここからは旧日本国海軍の山本五十六元帥をはじめ、多くの人材が輩出されている。
戦後は、長岡市の近く西山町から田中角栄が総理大臣まで上り詰めた。同じ選挙区だった長岡市は、田中角栄氏の強力な選挙地盤として、「越山会」(田中角栄の後援会)の中心的な都市となり、公共事業王国を築くこととなる。
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長岡市の人口は、着実に伸びている。昭和45年の人口16万2千人から、30年間で3万人増加した。昭和45年時、15万9千人と同じ人口規模だった高岡市(面積150.38m2)は、現在17万2千人、人口増加は1万3千人と長岡の半分も無い状況だ。特に長岡市は、現在も人口を伸ばしているのに対し、高岡市は昭和62年の17万7千人を境に、ここ10年で5千人も急速に人口を減らしつづけている。ちなみに長野県松本市(面積265.87m2)は、昭和45年時の人口が16万2千人、現在(平成13年)は20万9千人である。
安定成長を続けている長岡市。市町村再編成のうねりの中、今大きく変わろうとしている。それは、市町村合併を進め、人口30万都市化「中核市」昇格を果たそうというもの。それが今、現実化を帯びてきた。今月の特集は、新しい長岡市の実情を探ってみる。
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昭和40年から60年にかけて、長岡市はまさに「公共事業王国」であった。上越新幹線・関越自動車道・北陸自動車道・長岡ニュータウン・テクノポリス・国立長岡技術科学大学・信濃川河川敷開発事業・国道8号17号バイパス道路→などが次々と造られていった。
昭和50年代当時、人口17万人規模でこれだけの公共事業を行った地方都市はない。
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政令指定都市・県レベルの公共事業が、一地方都市に行われたのだ。県都新潟市をも上回る公共事業を支えていたのは、田中角栄氏の力であった。昭和53年当時、長岡市に国が注ぎ込んだ公共事業費は「700億円」にも上った。それに対して、人口120万人だった山形県全体の公共事業費は、その当時「300億円」だったと言う。長岡市だけで山形県全体の倍以上の公共事業が行われたのである。明治維新時の長岡藩7万石の実情を考えれば、大変な発展を見せたのです。
田中角栄氏の「日本列島改造論」は、日本全国の均衡ある発展を目指し、地方中核都市の必要性を説いたものであった。それが、まさしく「長岡市」だったのである。角栄氏は、みずから田中派を旗揚げし、自民党最大派閥として、政治官僚を牛耳ってきた。田中派の影響力は、大蔵省・建設省・運輸省・文部省・郵政省・国土開発庁に及び、田中派から必ず大臣を輩出するようになった。さらに日本列島改造論を元に、いろんな公団を造ったことは有名である。新幹線や在来新線の建設強化のために「鉄建公団」や、ニュータウン建設を進めるために「地域振興整備公団」などが造られていったのである。
角栄氏は、これらの公団を如何なく長岡市の公共事業(長岡ニュータウン・上越新幹線など)に活用した。
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もともと雪国における鉄道の重要性を、角栄氏は唱えていたのだが、その中でも特に「上越新幹線」の建設には、心血が注がれた。
「鉄道は鉄の道路である」角栄氏の持論であるが、豪雪地帯では、鉄道は道路に比べて20倍も30倍も効率的であるとして、地方都市における鉄道建設の必要性を説いた。また、日本列島改造論では、国土再編のためには、全国新幹線・高速自動車道路網で、日本全国を一日交通圏にする必要性があるとし、鉄建公団や日本道路公団が創設されていったのである。
角栄氏の関係書籍などからは、「私は、日本海沿岸地域を、70・80年代における我が国のフロンティアとする、その為に上越線の複線電化・上越新幹線・関越高速自動車道・北陸縦貫道路を現実のものにしてきた」と述べられている。
角栄氏は、冬場の豪雪時、出稼ぎに頼わざるをえなかった新潟県を、巨大開発によって大きく変えようと考えたのだ。この大規模公共事業は、新潟県に1万を超える土建業者を生み出し、冬場の働き先を確保することとなる。長岡の人達にとって、角栄氏の存在は大きかった。
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支援者は、角栄氏の事を愛着を込めてオヤジさんと呼んだ。そして各種の公共事業は、「オヤジの力」とも言われるようになったのです。
明治維新後、長岡藩は新潟県の県庁所在地になることが出来なかった。それは、徳川軍について官軍と戦ったという歴史があったからでもある。
「上越新幹線が開業し、長岡ニュータウン・テクノポリス(国立長岡技術科学大学→)が出来れば、市の人口は、現在の18万人から50万人になり、そうすれば、長岡は新潟の長岡から日本の長岡になる。」
「長岡駅↑を造るのに、250億円かかった。大きすぎると叩かれたが、長岡市が50万都市になれば、これでも小さい。長岡駅には、先行投資として北陸新幹線のレールもちゃんと出来ている。」
昭和57年当時、角栄氏は地元の式典で、事あるごとに「長岡50万都市構想」を語ったのである。長岡市は、新潟県の県庁所在地になれなかったものの、コンクリート要塞をいただく「公共事業城下町」へと変貌していった。
残念ながら、人口は50万都市には遥かに及ばないでいるものの、長岡市は昭和40から60年にかけての「公共事業王国」時代に、安定成長の基礎を築いたと言えるだろう。
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田中角栄氏の夢「長岡50万都市」は実現しなかったが、いま市町村再編成の動きの中、中核都市「長岡30万都市」が実現しようとしている。30万都市と言えば、隣県の県庁所在地である前橋市(28万4千人)・福島市(28万5千人)・福井市(25万2千人)を抜き、富山市(32万5千人)・長野市(36万1千人)・郡山市(33万4千人)・いわき市(36万2千人)などと肩を並べる規模だ。そして30万都市になれば「中核市」へと昇格する事が可能となる。
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新潟県が策定した「市町村合併パターン案」。新潟市は「政令指定都市」実現が明記された広域合併構想となったのに対し、長岡市の方は、当初「中核市」を目指すものではなかったのです。
県が示した長岡広域圏の合併パターン案は、長岡市を中心に、見附市・栃尾市・中之島町・越路町・小国町・山古志村の3市3町1村によるもので、人口は29万8千人、面積772.26m2であった。
「中核市」の昇格人口が30万人以上であり、わずか2千人及ばないものだ。
かつて30万都市だった「函館市」は、中核市指定を目指していた。しかし、中核市への申請直前に、人口が30万人を割ってしまい、中核市昇格が出来なかった事があった。2千人とは言え、人口30万人に達せなければ、中核市昇格は難しいのである。
新潟県は、新潟市には、戦略的な合併パターン案を示したのに対して、長岡市には戦略的な合併パターン案を示さなかったと言える。県第2都市の悲運とも言えるのだろうか。
県の「市町村合併パターン案」策定後、長岡広域圏の関係市町村で、合併に関する話し合いが行われてきたが、当初は、なかなかまとまらない様相を見せていた。しかし、政令市を目指した新潟広域圏の合併協議が順調に進むにつれて、長岡広域圏での話し合いも進展するようになってきた。県が示した3市3町1村の合併が現実を帯びてきたのである。
そして長岡市の森民夫市長が、中核市昇格を目指す事を表明し、隣接する三島町へ「長岡地域任意合併協議会」参加の呼びかけを行った。
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三島町は、県が示した合併パターンでは、与板・出雲崎・三島・和島の三島圏域4町村に属し、4町村からなる合併研究会を立ち上げていた。しかし、昨年2月に、三島町長の判断で、4町村の合併研究会から離脱し、長岡地域市町村合併研究会へ加わることとなったのである。これに対して、三島町議会は、長岡広域圏・三島圏域の選択で、大きく揺れることとなった。
その後、枠組みの検討が続いたが、今年1月1日、「長岡地域任意合併協議会」が正式に発足したのです。
長岡市では、合併特例法の期限である平成15年3月の新市発足を目標としている。人口30万6千人。辛うじて中核市の要件を満たすこととなる。そして合併後、2年を目処に中核市昇格を目指す。早ければ、2007年春にも、新潟市の政令市指定とともに、中核市「(新)長岡市」が誕生することとなるだろう。
しかし、人口は辛うじての30万人台。長岡市以外は人口減少都市でもあり、向こう5年間は、何としても人口減を6千人未満にする必要がある。函館市の例もあり、不安材料と言えよう。
長岡市としては、三島町の取り込みに続き、分裂状態になりつつある三島圏域残り3町村を取り込んで、安定30万都市を目論みたいところだ。実現すれば、31万6千人となる。特に、与板町では、住民意向調査で、三島郡3町村による合併より長岡地域との合併を求める声が多く、全体の44.78%に達している。
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都市名 |
人口(H12国勢) |
面積(H12.10.1) |
長岡市 |
193,414 |
262.45 |
見附市 |
43,526 |
77.92 |
栃尾市 |
24,704 |
204.92 |
中之島町 |
12,804 |
42.55 |
越路町 |
14,271 |
58.44 |
小国町 |
7,389 |
86.15 |
山古志村 |
2,222 |
39.83 |
(小合計) |
(298,330) |
(772.26) |
三島町 |
7,618 |
36.47 |
合計 |
305,948 |
808.52 |
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今後は、安定中核市を目指して、2段階合併もありうるのではないだろうか。森長岡市長は、小千谷市など13市町村合併までを視野に、40万都市構想を唱えはじめてきた。更に、合併交渉が進んでいない三条燕地域や柏崎地域をも含んで長岡市の70万都市化・政令指定都市化も視野に入ってきた感もある。新潟市とともに2大政令市の誕生も夢ではなくなってきている。
同じ中核市を目指す「高岡市」は、事実上、実現が夢と消えたのに対して、何故「長岡市」は広域合併が実現できるのだろうか。一つには、新潟県内のミニエリア競争があると考えられる。政令市を目指す「新潟市」と特例市を目指す「上越市」、その中間に位置する「長岡市」にとっては、存在意義が問われているからである。そして二つ目には、やはり「米百俵」の精神が活きているように思われる。将来の為、今を我慢し、投資に使う。生き残るための取り組みをしているからだと考える。
それに対して、加賀百万石の城下町「金沢市」と「高岡市」は、ともに市町村合併で、周辺都市から相手にされない状況が続いている。名家の高いプライドが災いをしているようだ。特に、「金沢市」「高岡市」両市とも、市役所の評判が芳しくない。「あそこの人達(市役所職員)といっしょになるのは‥」という声が、残念なことに多く聞かれるのだ。
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「公共事業王国」時代に激しく進んだ都市基盤整備。中核市になれば、大きく活かされる事となるだろう。
しかし、全てが順風満帆ではないようだ。人口増加の起爆剤として整備された長岡ニュータウン↓。市街地から西へ10キロ離れた西部丘陵地に、総事業費一千億円を投じて約1,080haに、一万戸分の分譲住宅を造成する計画だった。
昭和58年から分譲が開始され、10年後には4万人の町を造るという壮大なもの。当時、地域振興整備公団が手がけた全国7箇所のニュータウンで、最も規模が大きかったのが、長岡ニュータウンである。
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しかし実際には、造成されたニュータウンは思うように売れなかった。
分譲開始後、20年近く経つが、売れ残った造成地には、むなしくぺんぺん草が生えている↑。ニュータウン周辺は、4車線道路などの交通インフラも整備されているが、交通量は多くない。
広大なこの西部丘陵地をどうするか。そこで、ここ10年の間に、分譲住宅地以外の整備が進められてきた。その目玉として、1998年に開園した「国営越後丘陵公園」(総面積約400ha)↓がある。全国で16個所ある国営公園の一つだ。通常は、自然をそのまま活かす公園が多いのだが、長岡の場合は、遊休地を活用する新しい形態となった。ちなみに、北信越では、長野県に「国営アルプスあづみの公園」がある。
この他、通産省の地域振興策である「業務拠点地区(オフィスアルカディア構想)」の認定も受け、長岡ニュータウンを活かす形で企業団地が分譲を開始している。高岡市でも、戸出地区がオフィスアルカディアの指定を受けている。
オフィスアルカディアは、東京に集中している企業のオフィスや研究施設を、地方へと分散することを目的としている。残念ながら、両分譲地とも、長引く景気低迷をもろに受けて、販売には苦戦をしているようだ。
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これまで取り組んできた「信濃川テクノポリス構想」の中心的な施設で、工業単科大学としては、全国最大規模の「国立長岡技術科学大学」や「国立長岡工業高等専門学校」とも、うまく融合させ、長岡ニュータウン周辺を大きく変える事ができるかどうか、今後が注目されるところである。
更に、長岡ニュータウンには、県立新潟歴史博物館や県工業技術総合研究所など、県の施設も整備されはじめてきた。
一方で、残念なこともある。この西部丘陵地を活用してテーマパークを造ろうとした第3セクター「(株)スペースネオトピア」が、中心的企業であった佐藤工業の倒産もあって、今年3月、破産した。事業は行われないだけでなく、予定地の後処理問題も抱えることとなりそうだ。
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長岡ニュータウンだけではない。長岡市が抱えている、開発未使用地がまだまだある。信濃川の河川改修によって生まれた、広大な開発用地が市街地近郊にある。こちらの活用問題も残っている。
市街地近郊ということもあり、陸上競技場や、民間企業用団地・商業用地(ジャスコなどが進出)・県立近代美術館・ハイブ長岡(産業交流会館)←・長岡市リリックホール・千秋が原ふるさとの森・長岡造形大学(市出資の第3セクター)・県赤十字病院←などが整備されたのだが、それでも開発用地が残るという広大なものだ。
更に、JRの操車場跡地を長岡市は購入している。こちらは駅周辺ということもあるが、全くこれからの事業となる。具体的な開発計画案はまだ見えていない。
さすがに、やることが無くなって来た感が否めない。今後、これらの未開発地をどうするか?何を行うのか?注目されるところである。勿論、開発にはお金が掛かるわけで、合併特例債を活用することとなるだろう。
しかし、これだけの設備投資が、19万都市「長岡」に今も行われている事実。一時期程の勢いは無いにしても、やはりまだまだ「公共事業王国」と言えるのかもしれない。
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開発が進む中、一方で長岡市の中心商業地は衰退が進んでいる。競合する隣接都市は「新潟市」になるのだが、60キロ離れており、さほどの大きな影響は無い。しかし、中心商業地は、休日でも人通りが少なく。歩いて見ても立ち寄りたくなるお店が少ない感じがする。
主な商業施設は、長岡市唯一の百貨店「大和」↓・長岡生まれのイトーヨーカドー丸大→・駅ビルSASION・ダイエーぐらいである。
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特に大和百貨店は売り場面積が、非常に狭く魅力に乏しい。かつて地元百貨店だった丸大は、イトーヨーカドー系になりスーパーとして駅前に移転した。中心部の空洞化は著しい。
そこで長岡市では、中心地活性化策として、大手通り(駅前通り)の信濃川周辺で、大規模な道路幅員拡張を行った。↑
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更に、大手通・表町地区に大型の再開発事業を計画している。そこに大和百貨店を誘致し、今の4倍広い売り場面積を確保しようとしている。
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この再開発事業を支援するため、市では「米百俵記念館」の併設も検討されるなど、早期の実現を目指している。しかし、長岡市の場合、郊外の交通アクセスが優れている為、郊外店が増えつづけている。特に長岡インター付近の新産センター周辺は、副都心のような商業地へと変貌しそうである中心市街地の活性化策は、待ったなしの状態になってきたと言えるだろう。
長岡市の場合も、市街地活性化の切り札は、公共施設に頼らざるを得ないようだ。旧丸大ザ・プライス跡地を長岡市が借用し、昨年10月「ながおか市民センター」がオープンした↓。建物は古いものの、廃墟としておくよりは、有効活用する方が意味はある。
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この市民センターには、イベント広場・市民サービスセンター・国際交流・市民ギャラリー・職業相談所・消費生活センターなどがあり、5階建てのビルをフルに活用している。更に、全国的に有名になった長岡の花火を題材に、「まちなか花火ミュージアム」を併設して、観光拠点にもしようとしている。休日でも、多くの市民が利用するなど、市街地活性化に一役買っているようだ。
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しかし、公共機関だけでは、魅力ある商業地にはならない。やはり楽しい買い物が出来てこその中心地である。現在、5と10が付く日には、定期市「五十市」が行われている。大和のある城内町2丁目地区で行われており、商業地活性化の一翼を担っている。
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今後は、更にショッピングモールの建設構想なども検討されているが、取り組みはなかなか進んでいない。郊外店とは違う魅力は、中心地にしか造れない。そういった観点から、マンパワーによる更なる活性化策が欲しいところだ。郊外店の出店スペースは十分にある。今後は、超大型郊外店が出来ることも覚悟する必要があるだろう。
中心地の魅力アップには、大和だけではなく、丸大の百貨店復活(イトーヨーカドー系百貨店「ロビンソン」などでリニューアル化)も期待したいところだ。
また中心地の問題としては、JR在来線の高架化も検討する必要があると考える。中心地を南北に走るJR在来線と上越新幹線。新幹線は連続立体高架化されているが、JR在来線は非高架ということで、街を東西に分断している↑。長岡駅周辺の活性化には、在来線を連続立体高架化し、人の移動を活発化させたいものだ。特に、長岡市の場合は、市民の足は車であり、気軽に中心地に来れる環境づくりが重要となるだろう。
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長岡市には、国立大学・私立大学・国立高等専門学校など、高等教育機関が充実している。近郊エリアにも、大学があり、若者人口を維持する基盤は多い。
しかし、人口増加を続けてきた長岡市も、今後は人口減少に転じることとなる。30万都市化「中核市」昇格を果たしても、政令市の場合とは異なり、人口維持や発展は難しいであろう。それは「中核市」となった事で発展したという都市の実例がないからである。
更に県庁所在地でもない為、民間活動に頼わざるを得ない。しかし、先が見えない不景気の中、長岡市の武器が少ないように感じられる。それは、長岡生まれの企業があまり無いからではないだろうか。
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新しい企業を、育成する必要がある。今、企業を起こす力があるのは、学術機関だけとも言われている。学生企業や大学企業などがそうだ。しかし、国立大学の場合、そういったベンチャー企業を育てる環境には無い。
長岡の場合、工業系と経営系の大学整備に特化し、企業家が生まれやすい「ベンチャー都市」を目指してはどうだろうか。私立長岡造形大学↑に、産業工学部を新設し、国立長岡技術科学大学と、更に長岡大学の産業経営学部とも連携させ、ベンチャー企業を育成させるのです。20年30年先を考えた「米百俵」精神を活かして欲しいものです。
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長岡市は、地理的に見て新潟県の中心に位置します。「中核市」昇格を機に、今一度、新潟県で中心的な都市へと脱皮したいものです。新潟県はとにかく広い。新潟市から上越市へ仕事に行く場合は、一日仕事になるのが実態だ。しかし、長岡市に事業所を置けば、新潟市・上越市への出張は半日仕事で済む。地理的有利さ、これは絶大であり、長岡市の活性化へのキーワードになると考えます
物流拠点の整備を始め、新潟県向けの民間事業所、情報系企業などの誘致を進める必要がある。特に起爆剤となる大型オフィスビルを長岡駅周辺に欲しいものだ。
他の都市に比べ、長岡市の将来性は高いと感じられる。しかし、その将来性を上手く導けるかどうか?合併後の新生「長岡市役所←」次第ともいえるだろう。
都市経済から地域経済へ、中核市「長岡市」の可能性はこの点にあるではないだろうか。
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2003.5.15作成
尚、このページで使用している地図は、AtlasMateを使用しております。複製はご遠慮下さい。
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