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↑新高岡駅前を再整備した場合のイメージ
<『脱・富山』で、高岡のプライド復活『シン・タカオカ2.0』へ!>
高岡は、もともと越中の中心都市だった。最初に国府が置かれたのは、伏木の勝興寺近く。その後も、江戸時代や近世でも、独自文化で栄えてきた。戦後の昭和40年代までは、高岡市民は「自分たちは、富山県民と言わずに”高岡市民”」を掲げてきた。それだけ、「高岡」という名称に、誇り=プライドを持っていた。しかし、戦後の富山市と競合するなかで、高岡はその地位とプライドが下がり続けていく。そこには、富山市民側の「高岡市さえ無ければ、富山市はもっと発展したはず」「県内に中心都市は県都だけでよい」という強い思いがあり、昭和43年の富山県知事選挙をきっかけに、「知事は、富山市出身者でないといけない」という富山市民のチカラに高岡市民が負けたということがあった。これ以降、今日まで50年以上も、知事は富山市出身者だけが占めるという異常な状況が続いている。また、終戦直後の高岡市は、人口が北信越で新潟市・金沢市に続いて3番目に多い都市だったが、その後は、富山市・福井市・松本市・長岡市・上越市に抜かれて、今では北信越で8番目の都市に成り下がっている。こういった経緯で、いまでは高岡市民の誇り=プライドが、ほとんどなくなったとも言えるだろう。
昭和40年代まで、高岡市は県庁所在地にも負けない力強い都市力とあった。地下街や市民体育館に市民会館などは、地方都市として規模的にも誇らしい施設を造れていた。しかし、平成に入るとその都市力は影を潜める。その後、造られたインフラは、どれも「身の丈にあったもの」として、規模が抑えられ、魅力が乏しいものとなる。新高岡駅と周辺整備などは、「身の丈にあわせた程度の魅力がない」象徴とも言える。そして、令和のいまでは、高岡市は『中途半端な街』『街づくりで失敗した街』の全国を代表する例として揶揄されている。とても悲しくて恥ずかしい状況だ。
高岡の再生は、まず誇り=プライドを取り戻すところから始める必要がある。その為には、かつてのように「自分たちは富山ではない、"高岡だ!"」を、ちゃんと主張できるようにならないといけない。それが『脱・富山』だ。つまり、高岡では富山という言葉を使わない。弘前市・郡山市・松本市・浜松市・倉敷市と同じように、県都に対抗できる都市のプライド復活を目指す。そして、新高岡駅開業に次ぐ第2のアップグレードとなる、『シン・タカオカ2.0』として生まれ変わる必要があるだろう。
とにかく、全国に『高岡』の地名をあらゆる手段を使った、訴求しないといけない。高岡が富山の影に隠れていては、決して高岡の知名度は上がるはずはないのだ。
例えば、高岡市民は自分たちは富山県民と言わずに、別の表現を使うことを目指したい。松本市民は、自分たちは長野県民とは言わずに、信州人という表現をするケースがある。それだけ、松本市民は意識が高いと言える。また、浜松市民でも、静岡という表現を避ける傾向があり、遠州という表現を使う場合が多い。高岡でも、富山県高岡という呼称を避けて、『越中高岡』や『あい高岡』などの表現を使ったり、自分たちは富山県民と言わずに、高岡がドラえもんの生みの親『藤子F不二雄(藤本弘)さん』の出身地ということにあやかって、『あいのもん』や『タカオカもん』という表現も考えたい。
『シン・タカオカ2.0』の"シン"には、様々な意味のシンを持たせたい。新・高岡、深・高岡、信・高岡、心・高岡、伸・高岡、真・高岡、眞・高岡、親・高岡、進・高岡、神・高岡など、時代や状況にあわせて、これまでと違う高岡を目指す意味を持たせ、市民の意識改革を目指したい。
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↑新高岡駅に万葉線が乗り入れた場合のイメージ
(イオンモールの新高岡駅側へ増床、高岡スポーツコアのアリーナとサッカースタジアム新設)
<高岡を、高山・金沢・松本・長野に匹敵する国際的観光都市へ>
富山県は残念ながら知名度が低い。富山県では、これまで半世紀ほど掛けて、富山の知名度を高めようと、首都圏などで多額の広告を行ってきた。しかし、北陸新幹線開業ではわかったのは、富山の知名度やブランド力は極めて低く、県の広告効果・費用対効果は、ほとんど無かったということだろう。国際的な知名度も富山県では低いままだ。その為、富山空港の路線確保も、国内線はもとより国際線で苦戦が続いている。そこで、富山県では富山空港の愛称に、国際的に知名度の高い隣県の高山を組み込んだ名称へ変更した。これでは、富山県内の観光都市よりも隣県の観光都市を支援する空港となる。
なぜ、『高岡ではなく高山なのか!?』
そういった声が、まったく聞かれなかったは残念でならない。
富山県内で、もっとも高山市をはじめ、金沢市・松本市・長野市といった国際的な観光都市に対抗できる歴史的文化遺産があるのは高岡市だろう。高岡市を国際的な観光都市に押し上げるために、県をあげて取り組むべきだが、県は高岡市の問題として消極的なスタンスをとっている。空港名には他県の都市を積極的に取り入れているのに、県内の観光都市に無関心というのは残念な印象だ。もし、高岡市が県庁所在地であったら、県の対応は全く違っていただろう。
高岡が国際的な観光都市になる為には、どうすべきなのか?。これまで、高岡でよく言われていたのが、『観光資源の魅力を磨く』だ。だが、魅力を磨くというのは、どういうことなのか、具体的な話しや議論は聞こえてこない。掛け声倒れとも言えないだろうか。
外国の方が、日本の観光資源に興味を持つのは、『映える観光資源があるかどうか』。
映える観光地であれば、海外からの観光客は増える。もちろん、全国からも訪れる人が増える。高岡が、国際的観光都市を目指すなら、『映える観光スポット』を生み出し続けることがポイントになる。
観光資源の魅力を磨く=映える観光スポットを生み出し続ける
この一点に尽きるだろう。既存の観光資源を映える演出・投資を行う。新規に映える観光スポットを生み出し続ける。そういった努力を惜しまない、努力の歩みを止めないということが重要だと考える。
観光資源の投資には、『宿泊税』や『観光税』の導入などを検討したい。
高岡市にとっては、高山市を当面のライバル都市として競うことで、観光資源に磨きを掛けられるのではないだろうか。高山市を訪れた2025年の観光客数は、479万5千人。外国人宿泊者数は、97万8千人を数える。一方、高岡市は2024年の年間観光客数が312万人で、外国人観光客数はわずか1万人程度に過ぎない。高岡市では、これまで年間観光客数の目標を450万人としているが、これを高山市レベルの年間観光客数500万人超、外国人宿泊者数100万人超を目指したい。実現できれば、北陸新幹線のかがやきを、新高岡駅にすべて停車させることも可能となるだろう。
<世界文化遺産都市の実現は、商都高岡のブランド化で>
高岡の繁栄は、城下町から始まったが、育てたのは町衆たちである。その為、他所の城下町や県都(政都)などとは明らかに異なる発展をしてきた。その為、「商都」とも呼ばれることが多い。つまり、高岡の文化は 「商都(町衆)の文化」 として分類できる。これは、全国的にも希少価値が高く、ブランドとなる要素が多分にあると考える。
京都や奈良は、古都というブランド名で世界文化遺産に登録され、鎌倉も暫定リスト入りしている。城下町というブランド名でも、姫路城が世界文化遺産に登録され、彦根城が暫定リスト入りしている。しかし、世界遺産は希少価値が高く、類似のものは認定されないこととなっている。高岡が世界文化遺産を目指すのであれば、どう独自性をアピールするかが求められるのだ。そこで高岡の場合、この商都を冠として頂き、「商都高岡の近世文化遺産群」 として、世界文化遺産入りを目指すべきだと考える。商都というブランド名は、まだ世界文化遺産には、評価されていない。商都というわかりやすい文言を登録名に加えることで、高岡をメジャーにすることができるだろう。
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<ご当地ナンバー『高岡ナンバー』の実現>
高岡の知名度を上げるには、高岡が全国区の都市だという必要がある。その為に、1流都市であれば持っているものを、必ず高岡も持たないとイケナイだろう。例えば、総合大学・都市鉄道・百貨店などがあげられる。そして重要な都市アイテムとしては、ご当地ナンバーを持つことではないだろうか。金沢市では、ご当地ナンバーとして『金沢ナンバー』を実現させた。新潟県では、既存の新潟ナンバー・長岡ナンバーに加えて『上越ナンバー』が、長野県では、長野ナンバー・松本ナンバーに加えて『諏訪ナンバー』『安曇野ナンバー』『南信州ナンバー』が誕生している。これらの都市に負けない為にも、『高岡ナンバー』の実現を目指すべきだろう。
これまで『ご当地ナンバー』の実現には、複数都市での申請が必要だったが、2022年4月に申請基準が緩和されている。単独市での申請も可能となり、自動車登録台数の基準も10万台以上、または登録車と軽自動車との合計が17万台以上に引き下げられた。複数市町村で申請する場合も、登録台数が5万台以上、または登録車と軽自動車との合計が8.5万台以上と軽自動車普及に配慮され申請しやすくなっている。
高岡市の自動車登録台数は約8万台、登録車と軽自動車との合計が約14万台のため、現状では高岡市単独での申請はできないが、新たな規制緩和で、単独都市での申請基準が自動車登録台数で7万台以上へと引き下げられる見込みだ。
この規制緩和により『高岡ナンバー』の実現が可能となる。この規制緩和の動きに、高岡はいち早く対応させないといけない。しかし、もし単独申請が実現できないようであれば、周辺都市(最低1市以上)と共同での申請も視野にいれておきたい。その場合、ハードルとなるのが、周辺都市が『高岡ナンバー』の名称に難色を持つ可能性がある点だ。『高岡ナンバー』が難しい場合には、『あいナンバー』というのも選択肢ではないだろうか。近年は、アイトラムやあいの風とやま鉄道など、あいブランドが確立しつつあるのも追い風だろう。『あいナンバー』の実現は、富山県全体にとっても、意義のある事になるとともに『あいブランド』としてもPR効果があると考える。どちらにしても、高岡にとっては『脱・富山』の象徴となり、高岡のプライド復活に繋がる要素だと考える。
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<国立富山大学から分離『国立高岡芸術文化大学』の実現を!>
国立大学の改革で、かつて高岡にあった国立高岡短期大学は、富山大学に吸収統合された為、高岡の名称がついた国立大学は消滅した。このこと自体が高岡市の衰退を象徴しているだろう。高岡の知名度を高めるためにも、今一度、『高岡の名称を冠とした国立大学の実現』を目指したい。
その実現のために考えたいのは、『アンブレラ制度』の活用だ。国立大学のさらなる統合を目指した新しい改革の取り組みとして、ひとつの国立大学法人のもとに複数の国立大学をぶら下げる『アンブレラ制度』が認められるようになった。この制度を、富山大学でも取り入れることで、富山大学をふたつに分けることができるようになる。基本的には、独立大学法人『富山大学』のもとに、『富山大学』と『高岡芸術文化大学』の2つの大学がぶら下がるということだ。
高岡市内にキャンパスを構える大学として『国立高岡芸術文化大学』の実現ができれば、『脱・富山からシン・タカオカ2.0へ』に向けた一歩となる。この『国立高岡芸術文化大学』を、将来的には複数の学部を持った総合大学に発展させることができれば、高岡の活性化を飛躍的に高めることも繋がるだろう。
<芸術家の住む街づくりと伝統産業の市街地回帰>
"街は劇場"とも言われるが、高岡のロケーションづくりは、常に舞台として使えるように意識して整備する必要がある。そのためには、地元の富山大学芸術文化学部との連携を高めたり、街プロデューサー制度を導入をすることで、統一性のある景観づくりを進めて、”絵が描ける街" を目指すのも重要だと考える。
更に、小説家や美術家の卵達を全国から誘致して、高岡の中心市街地に住んでもらえるように工夫する必要もある。市中心部の古い民家や空家を市が買い取る、あるいは借り受けて、安い家賃で貸し出したり、空家の情報提供をインターネットなどで発信していく。特に、金屋町・山町筋あたりには、富山大学芸術文化学部の学生・教授などの居住を進める政策を、御車山祭りなどの古い高岡文化を守るとともに、新しい高岡文化を創造発展させる役割を、担ってもらうことも必要だ。
また、高岡の伝統文化を支えてきた多くの企業が、拠点を郊外に移転してきた。これを今一度、山町筋や金屋町に呼び戻すことも取り組みたい。高岡の伝統産業は、やはり歴史ある街並みにあってこそ、価値が高まると考えるからだ。
高岡の中心市街地活性化が進み、そして高岡の景観と文化が、全国区レベルとなれば、高岡を舞台とした映画・ドラマ・小説が増えて来るのではないだろうか。高岡のフィルムコミッション(映画ドラマCMなどの誘致を目指したロケーションコーディネーター機構)は、全国的にみて非常に評価が高く、"街は劇場"という土壌は整いつつある。高岡を舞台とした作品が増えれば、”物語が生まれる街"として、高岡が観光都市に成長できるであろう。
更に、高岡の歴史文化都市を全国にアピールするには、発信力の強化は欠かせない。発信力があるのは、やはり若い世代となる。近年は大学の街なかキャンパスが注目されているが、高岡でも街なかキャンパスがあれば、街なかで活動する若者が増えることで、自然と学生が高岡の魅力を全国へと発信するだろう。特に、富山大学芸術学部の街なかキャンパスが実現できれば、高岡の街なかは活性化が期待できる。
高岡の魅力を全国へ発信するという意味では、NHKの朝の連ドラを誘致することも目指したいものだ。
<高岡の名前がついた"Jリーグチーム"『FC高岡』の実現を!>
高岡市に本拠地を置く富山県第2の"Jリーグチーム誕生"を期待したい。高校野球では、富山商業と高岡商業が対戦すると観客も多く詰めかけて、早慶戦のような盛り上がりを見せる。高校サッカーでも、富山第一と高岡第一が対戦すると、やはり多くのサポーターがスタジアムで声援をおくる光景がみられる。つまり、富山市のチームと高岡市のチームが対戦するダービーは大変盛り上がるのだ。富山県内でも、富山市のJリーグチームと高岡市のJリーグチームによる『越中ダービーマッチ』が実現できれば、富山県のサッカーはもっと盛り上がるだろう。
富山県の規模だと、Jリーグチームはひとつで良いという意見の方もいるが、なぜふたつあったら駄目なのか疑問だ。実際に全国的には、1県でJリーグチームが2つや3つ、さらには4つもある県も存在する。「Jリーグチームは、県都の富山市にひとつあれば良い」という意見は、富山県がいかにも閉鎖的で保守的な土地柄だからとも言えるわけで、これを変えていかない限り、富山県は良くはならない。
勿論、チーム運営費には多額の年間予算が必要ではある。J1であれば最低でも年間20億円以上、J2は年間10億円以上、J3では年間5億円以上が必要とされている。現状のカターレ富山でも、年間予算が約10億円程度となっている。
しかし、全国を見てみると、八戸・天童・いわき・鹿嶋・柏・調布・町田・川崎・平塚・相模原・磐田・藤枝・沼津・豊田・松本・亀岡・吹田・東大阪・丸亀・鳴門・今治・鳥栖・北九州・新富(宮崎県)・沖縄など県庁所在地ではない25都市にJリーグチームがある。しかも、高岡市よりも人口が少ない都市でもJリーグチームがたくさん存在している。また、1県で複数のJリーグチームを抱えている自治体としては、福島県・茨城県・埼玉県・神奈川県・千葉県・東京都・静岡県・長野県・大阪府・愛媛県・福岡県と11都道府県にも及ぶ。青森県・栃木県・沖縄県でも2チーム目のJリーグチーム実現を目指している。富山県だけが、県内にJリーグチームが2つあってはイケナイという理由にはならないのだ。地域内での差別的な意見は如何なものかと感じる。
富山県にはJリーグ入りを目指しているチーム『富山新庄クラブ』を高岡に移転誘致することも期待したい。現状、富山新庄クラブは富山市がホームタウンとなっているが、高岡市に誘致して高岡スポーツコアをホームスタジアムにすることができれば、松本山雅やFC今治のようなチームとなる可能性がある。そして、『高岡』の文字が入ったJリーグチームの誕生が実現できれば、高岡の『脱・富山からシン・タカオカ』の象徴的な出来事となるだろう。
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↑片原町交差点に旧高岡市役所を復元した場合のイメージ
↓山町筋に明治期の高岡銀行を復元した場合のイメージ |
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<高岡中心商店街を『タカマチ旧市街』で再生>
高岡中心商店街は、かつての賑わいを失って久しい。賑わいと取り戻したいと、行政は様々な取り組みをしてきたが、実現のハードルは高かった。以前と同じ賑わいを取り戻すのは不可能だろう。しかし、高岡には歴史的な街並みの遺産が多い。これを観光資源にという思いは強い。実際には、観光誘客にも苦戦しているが活路はあると考える。参考にしたいのは『欧州でみられる旧市街』というブランド力だ。この旧市街という表現や言葉の響きは、観光地としてのブランド価値を高めさせている。フランスのボルドー旧市街やニース旧市街、ドイツのハンブルグ旧市街、イタリアのジェノヴァ旧市街などが良い例だ。
高岡中心商店街や、周辺の山町筋や金屋町などと景観を歴史文化が薫る街並みとして磨きを掛けて『タカマチ旧市街』として打ち出すことで、観光を軸とした『見て楽しい、体験して学べる街』にすることは、十二分に可能だと考える。
↓御旅屋セリオ周辺を市民が憩える空間に整備した場合のイメージ
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<御旅屋通りを「オタヤ七夕通り」として観光地化を!>
人通りが減少した御旅屋通り。高岡市にとって御旅屋通りの再生は必須だが、並大抵の取り組みでは、とても厳しいだろう。御旅屋通りを高岡市の財産として、将来どのように活かすのか。そのキーワードとして、観光地化を考えたい。高岡市の財産に『高岡七夕まつり』がある。しかし、『高岡七夕まつり』の知名度は全国的に低く、夏のわずかの期間だけのイベントのため、財産を活かしきれていない。
そこで、御旅屋通りを『オタヤ七夕通り』に名称変更して、観光地化を目指したい。通りの道路やアーケードにライティングを施すことで、通り自体が天の川を連想させる演出を施す。また、オタヤ七夕通りの南側を『織姫側』、北側を『彦星側』として、織姫側の店舗カラーを桜色・赤色、彦星側の店舗カラーを水色・青色に統一。年間を通して、七夕まつりを楽しめる通りにリニューアルを図りたい。
さらに、オタヤ七夕通りに『高岡七夕ミュージアム』を設けたい。ミュージアムには、都市型プラネタリウムを併設することで、ここでしか楽しめない仕掛けがあることで、観光客の誘客に繋げる。
↓オタヤ通りを『オタヤ七夕通り』にした場合のイメージ |
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<『日本最大の無印良品』誘致で、御旅屋セリオの再生を!>
少子高齢化が進んだ事で、高岡市を中心とした県西部では、若者は金沢へ、ファミリーはイオンに流れている。高岡の中心商店街では、この影響を受けて衰退してしまった。一方で、おばあちゃんが求めているおしゃれなファッションが、北陸ではなかなか手に入らないという事を起きている。そこで、高岡の中心商店街では、ターゲットを高齢者に絞る事で、金沢や富山市との差別化を図ることができるのではないだろうか。高齢者の街として有名なのは、おばあちゃんの原宿とも言われる巣鴨。高岡の中心商店街は、『北陸の巣鴨』と位置付けた街づくりに特化する事で生き残りを図りたい。
その実現の為に、オタヤ通りに高齢者向けのテナントを集中的に誘致して、高齢者が集う場所を確保したい。ここを拠点に、徐々にすえひろーどや周辺エリアに広げていきたい。
また、御旅屋セリオのキーテナントで2019年に閉店した旧大和高岡店。新しいキーテナントが決まらない問題がある。そこで参考にしたいのが、上越市は直江津駅の近くにあるショッピングセンター『エルマール』だ。もともとは、キーテナントにイトーヨーカ堂が入っていたが2019年に撤退した。エルマールの売場面積は約1万平米で、御旅屋セリオの約半分。イトーヨーカ堂はこの内の6,000uを占めていたが、現在は空いたスペースはすべて商業施設として再生している。新たに長岡の食品スーパーとマツモトキヨシ、そして新しいキーテナントとして無印良品を誘致した。進出当時、無印良品として国内最大級の売場面積4,935uという超大型店だった。2階フロアのほぼ全てを無印良品が占めている。ちなみに、富山県内で最大規模の無印良品は、ファボーレ富山の店舗で売場面積は2,642u。いかに直江津の店舗が大きいかがわかるだろう。直江津のエルマールで、その他に注目したいのが地元商店の専門店がテナントとして、40店舗以上も入居している点だ。県外資本を含めると専門店が50店舗を超える 。
無印良品では、広島アルパークでも撤退した天満屋百貨店跡に、キーテナントとして売場面積が6,192uの店舗を出店させたり、奈良県のイオンモール橿原には売場面積が8,201uの店舗をオープンさせるなど、超大型店を増やしている。
御旅屋セリオでも、無印良品の誘致と地元商店を軸に『高岡しみん百貨店』としての復活を目指したい。特に、無印良品としては全国初の『無印百貨店』として誘致を目指し、売場面積がMUJI最大の10,000u規模で実現させたい。そして、タカマチ再生が全国のモデルケースになることも期待したい。
↓山町筋の土蔵造り街並み整備をした場合のイメージ |
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<『ジャポニズム高岡』の実現>
高岡のイメージアップには『商都高岡』に加えて、世界的なキャッチフレーズをつくりたい。それが、『ジャポニズム高岡』だ。明治時代に、美術商として日本の文化をパリを拠点に欧州へ拡めた高岡市出身の『林忠正』。彼は、まさに『ジャポニズム』の生みの親ともいえる存在。つまり、『ジャポニズムのふるさとは高岡』というのを、新しいPR要素として育てていきたい。そして、欧州からの誘客へと繋げていく。そのためには、『ジャポニズムコンテンツ』を街なかに整備していく必要があるだろう。
倉敷の「大原美術館」は、日本で最初の西洋美術館として全国に名高く、倉敷観光の目玉ともなっている。高岡の街なかにも、訪れる観光客にとって記憶に残るようなシンボリックな美術館があれば、街は輝きだすだろう。美術館のコンセプトを、西洋に影響を与えた日本美術や、日本文化に影響を受けた欧州美術にスポットをあてた『高岡ジャポニズム美術館』の実現を目指したい。美術館の設置場所は、現在の北陸銀行高岡支店を候補地として検討したいものだ。現在の北陸銀行高岡支店は、建設されてから50年近く経っており、駅前東街区再開発ビルなどへの移転を検討してもらう。現在の北陸銀行高岡支店が建っている場所は、旧高岡市役所があった場所になる。大正から昭和初期にあった旧高岡市役所は西欧風ゴシック調の造りで、高岡のシンボル的な建物だったと言われている。この旧高岡市役所をモデルに、ジャポニズム美術館の建築デザインを考えたい。
↓山町筋の土蔵造りによる街並み整備した場合のイメージ |
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<途切れない土蔵造りと千本格子の街並みの実現!>
高岡が『真の歴史文化都市を目指す』のであれば、かつてあった歴史建造物を復元していく必要がある。高山の古い町並みは、古い建物が途切れる事なく整備されているのが魅力となっている。この高山の古い街並みも、全てが古い建物で構成されているわけではない。古い建物を移築したり、古い建物のように造られたり戦略的な整備が施されている。それは、観光客目線で整備されているからだろう。また、木曽路の『馬篭宿』は、江戸時代の風情が残っているとして外国観光客の人気スポットですが、実は大正14年の大火で、石畳と枡形を除き全て焼失している。地元の人々の熱意で、時間をかけて宿場町を復元した努力があったからこそ、今の人気に繋がっている。石川県でも、金沢城をできるだけ資料をもとに木造で復元を続けており、100年後には国宝となることを目指している。訪れた観光客は、さすが百万石の城下町と感じるのは、地元のプライドと努力があってこその話だ。
高岡でも同じように、かつてあった建造物の復元を、時間をかけて行う必要があるだろう。明治から昭和初期にかけては、立派な建物が多かったという。旧高岡市役所・旧高岡警察署・旧高岡商工会議所・グリーンホール・育英小学校など、高岡の繁栄を象徴した建物があった。これらの復元を何らかのカタチで実現したいものだ。特に、山町筋には昔のような『土蔵造りが途切れない街並み』として整備する事が必要だろう。失われた土蔵造りの『高岡貯金銀行』・『第十二国立銀行』・『梅田呉服店』や、レンガ造りとなった『不動貯金銀行高岡支店』などの建物も、時間を掛けて復元させて山町筋の完全復活をさせたい。蘇った土蔵造りには、高岡生まれの高峰譲吉を記念した施設を設けたり、新たに酒醸造所・味噌醤油の醸造所・漬物屋などの誘致に役立てたい。高山のように歴史ある街には、酒蔵や味噌醤油の醸造所が数多く残っている。それが、街の魅力を高めている。だが、高岡の街なかには醸造所がない。未来へ歴史文化を残していくためにも、平成の醸造所づくりが必要だろう。
また、山町筋にあった白煉瓦(白亜)の銀行「旧高岡銀行(北陸銀行御馬出支店)」の復元も期待したい。現在残っている、赤煉瓦の銀行「富山銀行本店」に並ぶ、山町筋の象徴的な建物だった。また、山町筋の西側正面に聳えるように建っていたことから、当時は極めて目立っていた建物だったという。赤と白の煉瓦銀行が揃えば、とても縁起の良い『おめでたい』エリアになるはずだ。この復元した白煉瓦の銀行は、山町筋に欠けているレストランやジャスなどのライブハウスとして活かしたい。また、赤煉瓦銀行は創建当時の1〜2階吹き抜けも復活させて、地ビール園として街の新名所にしたいものだ。更に、老舗の和菓子屋も、今一度、山町筋に集約させて、昼から夜まで歩ける場所を目指したい。つまり、観光客目線の街歩きが楽しい場所に転換させるのだ。
山町筋の土蔵造りの街並みと並んで、高岡市の歴史的景観を誇るのは金屋町の千本格子の街並み、そして吉久地区のサマノコ(狭間の格子)が特徴の街並み。いずれも、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているが、歴史景観の維持と復元が、高岡市の観光資源としての生命線とも言える。
これら3つの重要伝統的建造物群保存地区の街並み復元、そして明治期のレトロな街並みの演出をいかに行うか。土蔵造り・千本格子・サマノコ(狭間の格子)に建物を立て替えたり、明治期のレトロ風な建物を建設する際に、行政の補助金制度の充実は欠かせない。また、3つの保存地区以外の場所でも、街のアクセントとして土蔵造り風や千本格子風の建物を増やしていくことが重要だ。城下町の松本では、蔵の街として人気が高い中町通りがある。この蔵のデザインは、松本市の至る所で見ることができる。新しい店舗でも蔵のイメージで建物が建てられるなど、松本市全体が歩いて城下町の雰囲気を楽しめる。このような街づくりを高岡でも実現させたい。高岡市には、地場の有力な住宅メーカーや建設会社が多数ある。これらの企業と連携して、レトロ建造物のモデルとなるサンプルを多数用意することで、容易に歴史景観に配慮する建築ができるようにしたい。
また、山町筋での宿泊施設も重要となる。現在は日中に観光客が訪れるが、夜になると寂しいエリアなのが課題だ。山町筋が、切れ目のない土蔵造りの街並みになれば、夜のライトアップも魅力となるだろう。夜も歩いて楽しめる町となれば、山町筋に泊まりたいというニーズも生まれてくる。民宿や旅館などの誘致にも繋げられると考える。
↓金屋町の間口を広げて、入り口に歴史的建造物を復元した場合のイメージ |
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<千保川の河川改修と道路拡幅で、金屋町を散策できる街へ>
金屋町周辺の千保川は、高山の宮川や松本の女鳥羽川を参考に、川幅を広げ風情のある(散策ができる)空間を目指す必要もあるだろう。また、千保川の上流には『おとぎの森公園』がある。おとぎの森公園から市街地の内免までを、道路拡幅と散策道を整備するのも重要だと考える。おとぎの森公園は新高岡駅にも近く、新高岡駅を起点に、徒歩あるいはレンタルサイクルなどで、周遊観光できることも期待できる。道路拡幅ができれば、コミュニティバスを走らせることも可能となる。また河川改修によっては、七夕祭りの笹流し(七夕送り)の復活が期待できる。七夕送りは江戸時代から続いている風習であり、伝統の高岡七夕まつりのシンボルとしなければならない。近年行われた、小舟を使った七夕送りの復活と、ライトアップの変わりに、灯篭流しを行うことで地上の天の川を演出させるのです。千保川の改修によって、流される七夕の回収も容易となると考える。
また、現在見た目にわかりにくい金屋町の入り口周辺を、千本格子の古い町並みが連想される、印象度の高い景観整備を行いたい。例えば、大分県の豊後高田市では、中心商店街を「昭和の町並み」で整備を図り、地元の商店街と同時に、観光スポットとしても魅力的な街へ改造を図っており参考にしたい。
↓千保川沿いにある観光駐車場に、高岡銀行中島支店を復元した場合のイメージ |
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<映えるウエルカムモニュメントの充実>
北陸新幹線開業に向けて、金沢市では様々の取り組みを行ってきた。その代表的なのは、金沢駅東口に整備された『もてなしドーム』と『鼓門』だ。新幹線開業とともに、金沢へ訪れる観光客は、鼓門の前で記念写真を撮影するのが定番となった。この『もてなしドーム』と『鼓門』は、魅力的な『映えるウエルカムモニュメント』だろう。富山県内でも、新幹線開業に合わせてウエルカムモニュメントは設置されたが、観光客はもとより市民にも認識がないものばかりだ。
今後、高岡が全国区の観光地に成長させるには、魅力的な『映えるウエルカムモニュメント』の生み出していく必要がある。特に、観光スポットには、観光客がウエルカムモニュメントに惹かれて立ち止まり、その先にある観光スポットに誘導する。この流れを如何に生み出せるかが勝負となる。
国宝瑞龍寺には、観光駐車場がある。しかし、その利用者はさほど多くない。瑞龍寺と前田利長公墓の間には、『八丁道』がある。歩行者優先の美しい散策道があるが、休日でも観光客はまったく歩いていないのが問題だ。まずは、観光客が立ち寄りたくなるような『ウエルカムモニュメント』を、観光駐車場に設置することで『八丁道』を歩いてもらう、そういう仕掛けが必要だろう。
また、前田利長墓所の再整備も必須と考える。現在は、能登地震などの影響もあり、多くの灯篭が倒れ、参道も景観が綺麗とは言えない。さらに、戦国時代の武将というイメージも感じられないなど、観光スポットとは言えない状態だ。前田利長墓所に観光客が立ち寄りたくなるような景観整備と、古城公園にある『前田利長騎馬像』を前田利長墓所に移転させて、観光客が記念撮影するスポットとすることを検討したいものだ。
↓瑞龍寺観光駐車場にウエルカムモニュメントを設置した場合のイメージ |
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<高岡大仏の魅力アップを>
高岡大仏は、かつては坂下町の下から坂の上を見上げると、真正面に鎮座していた。しかし、大仏を支える台座を新しくした際に、後ろへ移動したことで、坂下町の下からは見えにくなってしまった。奇しくも、大仏が移動した以降、高岡の街は急速に衰退しはじめた。そこで、大仏様を再び坂下町の下からでも拝めるように移動させたい。そして、坂下町通りは観光散策型通りとして整備を図りたいものだ。市民に好評な坂下町の朝市は、毎週土日に開催するなど、定期市として観光資源化させる。坂下町通りを「大仏表参道」と、愛称をつける必要もあるだろう。
また、坂下町の家並みも、歴史を感じる建物を増やしていく必要がある。店舗や住宅が土蔵造りや千本格子にリノベーションしやすくするような行政の支援を充実させることも必要だろう。
↓坂下町から見えるように、高岡大仏を移動した場合のイメージ |
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↓現状の大仏が見えない坂下町 |
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<国宝『勝興寺』の魅力アップに『伏木駅新駅舎』を!>
能登半島地震では高岡の伏木でも深刻な被害を受けた。復興に向けた取り組みが行われているが、復興後の活気を如何に取り戻すかが課題だ。伏木には『国宝勝興寺』がある。この歴史遺産を活かした観光都市に活路を見出していく必要があるだろう。また、伏木の周辺には、『旧伏木測候所』『岩崎ノ鼻灯台』『万葉博物館』『雨晴』などの観光スポットもある。これらの観光スポットの拠点となる施設が必要だろう。その為に検討したいのが『伏木駅』の新駅舎整備だ。伏木駅の目の前は『勝興寺』の参道がある。如何に伏木駅で降りて、勝興寺に誘うのか。
魅力的な『伏木駅新駅舎』ができれば、観光客の誘客に繋げられる。また、伏木地区の住民が日頃から集える場所となれば、伏木地区の復興したシンボルとすることもできるのではないだろうか。
↓伏木駅の駅舎を新しくした場合の外観イメージ |
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↓伏木駅の駅舎を新しくした場合の内観イメージ |
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<『高岡ブランド食文化』の開発を、農学部・海洋資源学部の開設で>
観光都市として魅力を高めるには、『食の魅力』は欠かせない。観光地ならでは、オリジナルな食材・食文化をどれだけ有しているか。観光で訪れる目的として、食事が魅力的でないと宿泊まで繋がらないだろう。高岡の場合、この『オリジナルな食』が少ない点は大きな課題だ。いかに、『魅力的な食材・食文化』を開発できるか。そこで検討したいのは、『富山県立大学に農学部・海洋資源学部の開設を、伏木地区での実現を目指す』ことだ。農学部・海洋資源学部が主体となって、高岡オリジナルの食材や食文化を育成することができれば、高岡が観光都市として飛躍させられるだろう。
この新しい富山県立大学の農学部・海洋資源学部を、震災復興を目指している伏木地区の旧伏木高校跡地に誘致したい。『県立伏木高校』の閉校は、伏木地区の住民ととって、震災に追い討ちを掛ける失望感となっている。この伏木高校は、越中国分駅の小高い丘にある高校。富山湾が望める高校は、県内でここだけといえるほど、ロケーションが素晴らしい。かつては、ロシア語コースなどもあるなど個性的な高校だっただけに、とても勿体無い状況だ。観光地の鎌倉では、同じように海が望める『鎌倉高校』は全国に知られた有名校で、鎌倉高校を舞台としたドラマ・アニメ・コミックが多く作られてきた。『伏木高校』でも、取り組み次第では同じような有名高校にすることは可能だった。この伏木高校の跡地に、再び学びの場所として蘇らせることは大きな意義がある。新しく富山県立大学の伏木キャンパスが実現できれば、産業だけではなく、若者の活力で伏木地区の活気に繋げることができるだろう。
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↑片原町交差点に旧高岡市役所を復元した場合の万葉線から見た車窓イメージ
<「鉄道観光都市」としてのブランド化>
万葉線の新線として、片原町ー昭和町間と高岡ー新高岡間への延伸を期待したい。この新路線実現で、瑞龍寺・高岡大仏・御車山祭り会館・金屋町・山町筋の観光エリアを路面電車で結ぶ事となり、鉄道観光路線としての魅力を持たせることができる。この延伸にあわせて、明治風のレトロ電車や2階建て車両など「観光路面電車 」も走らせたい。目指したいのは、車窓から歴史的景観が楽しめる街づくりだ。欧州でLRTがある都市は、いずれも歴史的な街並みが残り、LRTの車窓からの景色が楽しめる。高岡でも、車窓からの景色が明治・大正時代の雰囲気を楽しめるような街づくりを行いたい。参考にしたいのが、アムステルダムのLRTだ。切れ目なくレンガ造りの建物が並ぶ街並みの中を、LRTが走り光景は、それだけで観光資源となっている。高岡では、明治・大正時代に素敵な建物がたくさん存在していたが、その多くが取り壊されてきた。失った建造物の復元を、時間を掛けて取り組んでいきたい。また、商業店舗や企業オフィスに住宅などの一般建築も、レトロ感があるデザインを推奨する仕組みが必要だ。行政が、街のグランドデザインを策定して、市内の建築業者や住宅メーカーなどと連携して、レトロ風なデザインのモデル建造物やモデル住宅を実現させたい。このモデル事業を、街のトレンドとして、街全体に広げることで、街の景観を劇的に変えていってほしい。
また、現在見た目にわかりにくい山町筋・金屋町・オタヤ通り・坂下町の入り口周辺には、入り口の間口を広げて、そこにLRTの車窓からもわかるようなインパクトのある歴史建造物を配置させたい。そこに何か面白いものがある、ちょっと寄ってみようかと感じさせる『映える景色』が、観光都市になれる要素だろう。
更に、欧州(ベルリンなど)の観光地で見られるような、観光施設や各種ミュージアムの入場券と交通周遊フリーパス(当面は万葉線)を組み合わせた「観光フリーパス」を導入する事で観光客の利便性を高めたい。
↓高岡大仏を移動して万葉線から見えるようにした場合の車窓イメージ |
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<『雨晴駅』を、海が望める美しい駅としてリニューアルを!>
氷見線も『車窓が楽しめる鉄道路線』として磨く必要がある。氷見線の場合、観光鉄道として人気の江ノ島電鉄を参考にできるだろう。海沿いを走る氷見線は、雨晴駅周辺が観光客の人気スポットとなっている。ただ、雨晴駅は観光スポットの駅としての魅力に欠けている。特に、海に面した駅にかかわらず、雨晴駅は海の景観を駅舎側からは眺めることができない。観光案内の看板が景観を塞いで、折角のロケーションを損ねている残念な駅となっている。全国には海に面した駅が人気だ。愛媛県の下灘駅、新潟県の青海川駅や有間川駅、長崎県の千綿駅など、映える駅として観光者を集めている。
雨晴駅を、海が望める美しい駅としてリニューアルさせたい。新しい駅舎も『道の駅雨晴』のデザインとお揃いにすることで、相乗効果を狙いたい。
↓雨晴駅をリニューアルした場合のイメージ |
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↓現在の雨晴駅 |
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↓駅から海が望める有間川駅と越中国分駅 |
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<氷見線の『ひみ番屋街』まで延伸と『氷見市海浜植物園』に新駅を!>
氷見線は、雨晴の人気で乗客増の傾向があるが、氷見線の魅力をさらに高める必要があるだろう。そのために、氷見線は人気の観光スポットに直結しているイメージが重要となる。氷見線の執着駅『氷見駅』の先に、年間観光客数が120万人を誇る『ひみ番屋街』がある。氷見駅からひみ番屋街までの1.6キロを延伸できれば、氷見線の利用者は増加が見込める。氷見駅から南大町交差点までは、県道302号線を併用軌道による路面電車化、南大町交差点からひみ番屋街までは遊歩道を改良して専用軌道で延伸させたい。
また、島尾駅ー氷見駅間には『氷見市海浜植物園』がある。年間利用者が10万人規模で、ここに新駅ができれば、氷見線の魅力がさらにアップさせられる。
氷見線には、さらに新駅を設置すれば、利用者が増やせられる場所が多い。高岡駅ー越中中川駅間の定塚地区、越中中川駅ー能町駅間の角地区、能町ー伏木駅間の伏木矢田地区は、居住人口も多く、新駅ができれば利用者増に繋げられる。また、氷見線と万葉線が交差する荻布地区に、乗換駅ができれば、新湊と氷見の行き来が便利となり。観光客の利用も想定できる。
観光鉄道としての江ノ電は年間利用者数が1,500万人に及ぶ。現状、氷見線の年間利用者数は380万人程度だが、観光鉄道として魅力を高めることができれば、利用者の倍増も不可能ではないと考える。
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<城端線の支線として、井波・庄川への延伸も視野に!>
一方、城端線も観光鉄道を目指すことで活性化させたい。城端線沿線には、砺波のチューリップ公園や城端町の街並みなどがあるが、観光鉄道としての観光資源は不足している。まずは、福野駅から高瀬神社ー井波瑞泉寺ー庄川町水記念公園間を結ぶフィーダーバスを走らせたい。これらの観光施設を取り込めれば、城端線の魅力アップに繋がるだろう。将来的には、城端線の支線として約7.3キロの鉄路延伸も視野に入れたい。
新高岡駅を起点に、万葉線・氷見線・城端線を使えば、観光が楽しめる。そういった『鉄道観光都市』としてのイメージが高岡にできれば、全国や世界から観光客が訪れたくなる都市になれるだろう。
↓世界遺産ボルドーを走る路面電車 |
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<旧ダイエー跡地は『歴史文化を感じる音楽堂』に!>
高岡市民会館が老朽化と耐震不足から閉館したのは2018年。当時は、富山市公会堂に次ぐ規模で、客席数は1,613席を要していた。閉館後、コンサートなどは富山県高岡文化ホールに担っている。ただ、高岡文化ホールは大ホールの客席数で705席、小ホールで250席と規模が極めて小さい。大規模なコンサートや演劇公演などは、高岡に誘致できいない状況だ。
市役所の移転候補地として、旧ダイエー跡地を高岡市が取得したが、活断層が敷地を横切っている可能性があるとして、市役所は移転せずに現在の庁舎を耐震補強、継続使用する可能性が出てきた。そうすると取得した旧ダイエー跡地はどうするのか議論となっている。旧ダイエー跡地は、ほぼ正方形で約9500m2。例えば、アリーナなら5,000人収容規模の施設、市民会館であればを3,000人収容規模の施設が建設可能だ。活断層問題で役所機能の建設は難しいが、アリーナや市民会館なら実現のハードルは下がるだろう。問題は建設費の確保だ。高岡市にとっては、スポーツコア周辺整備が優先すべきで、この場所での新たな投資は避けたいところだ。
まず考えたいのは、富山県高岡文化ホールの大ホールして、富山県が整備する方法の可能性を探ることだ。場所は高岡市が無償提供、建物は富山県が建設する。実現すれば、大ホールとしては日本海側最大級のコンサートホールとなり、既存の中ホール(現大ホール)・小ホールとバランスが取れるだろう。
富山県の協力が得られないようであれば、高岡市が市民会館として整備するしかない。ただ、高岡市の財政は厳しいので、敷地の半分を1,500人収容規模の市民会館にし、残りの敷地には、市民会館に併設したカタチでマンションとホテルを誘致、権利売却費を市民会館の建設費補填にあてるやり方だ。
旧ダイエー跡地は、高岡駅前にある好立地なため、ある程度の集客は期待できる。ただ、1,500人収容規模の市民会館だと、富山駅前のオーバードホールや金沢駅前の音楽堂と規模が近いため、全国規模のコンサート誘致では苦戦することも想定される。いわゆる中途半端な施設によくあるケースだ。その点も十分に考慮しないとイケナイだろう。
建物の外観デザインをどうするかも重要な課題だ。歴史文化都市として相応しい外観としなければならない。近代的な外観とすることも考えられるが、ここは高岡の歴史景観を蘇らせたい。戦後まもなく開催された高岡産業博覧会で造られた『迎賓館(公会堂)』。昭和初期の高岡が活気ある時代に造られた重厚な建物。この建物のデザインを現代のコンサートホールに蘇らせたい。高岡駅周辺には、歴史文化を感じられる建物が失われてきたこともあり、かつての『迎賓館(公会堂)』を彷彿させる建物が、高岡駅前にできることは、観光都市を目指すにも必要なことではないだろうか。
↓高岡駅南口のダイエー跡地に音楽堂を整備した場合のイメージ |
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↑ 万葉線を金屋町に延伸した場合のイメージ
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<万葉線の新線『片原町-金屋町-三協アルミ本社前ルートの実現を!>
万葉線を持続可能な都市交通システムとして、更なる強化が必要だろう。万葉線の新高岡駅延伸に加えて、新たな路線として万葉線の南北線を整備したい。南北線は、片原町から観光地の山町筋や金屋町そして2つの高校がある昭和町から三協アルミ本社前まで、約2キロのルートで整備を図る。この路線は、山町筋・金屋町といった高岡の観光地へ誘客を促進させる重要なアイテムとなる。新高岡駅を起点に、高岡市内や呉西エリアの観光地が鉄路で結ばれる効果は絶大だ。
また、日頃の生活路線としても、この南北線の役割は極めて重要度が高い。三協アルミ・トナミ運輸などの本社や、高岡商業や高岡第一などの高校も沿線にあるなど、採算性もあると考える。単線で整備(途中にすれ違い箇所を2箇所設ける)、約2.2キロの建設費は40億円ほど。国50%、県と市が各25%を想定すると、高岡市の負担は10億円ほどになる。
<蓮花寺駅・角駅・戸出工業団地駅・永楽駅の実現を!>
城端線・氷見線のあいの風とやま鉄道へ経営移管が決まったが、今後は持続可能な鉄道として、利用客確保が重要となる。その為にも、沿線に新たな駅『蓮花寺(野村)駅』の設置を目指したい。市内でも屈指の人口がある野村地区に、あいの風とやま鉄道の新駅を設ける意義は高い。ネックとなるのは、富山県の指針として、新駅設置の条件が既存駅間は4キロ離れている条件が示されている。高岡駅ー越中大門駅間はわずかに4キロ未満となる為に、新駅設置条件にあわないこととなる。しかし、最寄りの駅まで2キロも離れていると、たとえ人口が多いエリアでも、最寄り駅まで歩いて利用しようとはならない。この新駅設置基準は問題が多いと言えるのだ。この基準を見直すべきだろう。
氷見線では、越中中川駅ー能町駅間に新駅『角駅(仮称)』、城端線では、林駅ー戸出駅間に新駅『戸出工業団地駅』、あいの風とやま鉄道には、高岡駅ー高岡やぶなみ駅間に新駅『永楽(厚生連高岡病院前)駅』の設置を目指したい。
<路線バスからフィーダーバスへ大胆に再編を!>
路線バスは、利用者の減少と深刻な運転手不足で、急速な路線縮小と運行本数の削減が続いている。路線バスの利便性は悪くなれば、利用者がさらに減り、いずれバス路線自体が消滅する危険性が高い。車社会だから、バス路線が無くなっても構わないという意見もあるが、高齢化が進むなか交通弱者は増えている。買い物難民という事態も見受けられる状況だ。高岡市には、幸い鉄道網が残っている。これと3次交通としてのバスを有機的に結ぶことで、交通難民を生み出さないようにしたい。
限られたバス運転手の資源を、路線バス網から鉄道駅を起点したフィーダーバス網に振り向けることで、運行本数を確保したい。
・城端線-戸出駅・・戸出駅と中田地区を結ぶフィーダーバス
・城端線-戸出駅・・戸出駅と戸出団地を結ぶフィーダーバス
・城端線-新高岡駅・・おとぎの森公園・佐野地区を結ぶフィーダーバス
・城端線-新高岡駅・・問屋町・出来田を結ぶフィーダーバス
・氷見線-伏木駅・・伏木駅を起点に、市街地を循環するフィーダーバス
・万葉線-志貴野中学校前駅(高岡市役所)・・熊野町・守山を結ぶフィーダーバス
・万葉線-志貴野中学校前駅(高岡市役所)・・角・石瀬を結ぶフィーダーバス
・万葉線-米島口駅・・富山大学高岡キャンパス・二上地区を結ぶフィーダーバス
・万葉線-米島口駅・・高美町を結ぶフィーダーバス
・あいの風とやま線-西高岡駅・・赤丸・石堤を結ぶフィーダーバス
・あいの風とやま線-福岡駅・・五位・向田地区を結ぶフィーダーバス
(万葉線の延伸とあいの風とやま鉄道の新駅実現)
・万葉線-(延伸)美幸町駅・・佐加野・国吉を結ぶフィーダーバス
・万葉線-(延伸)美幸町駅・・長慶寺・守山を結ぶフィーダーバス
・あいの風とやま線-(新駅)蓮花寺駅・・野村・下田を結ぶフィーダーバス
万葉線に接続するフィーダーバスは30分間隔、あいの風とやま線・城端線・氷見線に接続するフィーダーバスは、停車便にあわせての運行を図りたい。これらのフィーダーバスで、市内をほぼ網羅する3次交通が確保できるだろう。
↓万葉線(LRT)とフィーダーバスの乗り換えステーションを整備した場合のイメージ |
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