<注意>このホームページは、あくまでプライベートサイトであり、いかなる団体・企業とも関係がございません。
当サイトで使用した画像及びデータの無断転載は禁止いたします。このサイトの主宰は、炭谷壮一(映像作家/街二スト)です。

<検討したい項目>
・演出のある街づくり
・総曲輪、富山駅前の商業エリア5点セット化
(百貨店+ファッションビル+DIYビル+エンターテイメント施設+飲食ゾーン)


 富山の中心市街地は、近年、著しい衰退を見せている。行政や地元商店街では、衰退した要因を郊外店が増えたことだとしている。しかし市民目線でみれば、中心市街地に市民が求めるものが少ないからだとなる。重要なのは、高い駐車料金を払っても来たくなるような都市環境をつくる事が求められていると考える。
 また、「民間がつくる街」 と 「行政がつくる街」 では、圧倒的に 「民間がつくる街」 の方が、魅力的である。特に、行政が中心に行った都市再開発は、全国的にみてもそのほとんどが失敗している。立派ななハコモノは造れるが、人を動かすという魂が入っていないからだ。特に、行政の街づくりは1年2年で結果を出そうとする傾向にある。街は10年20年かけないと、魅力的な街にはならない。政令市以上の大都市では「民間でつくる街」 が主流であるが、残念ながら富山では 「行政がつくる街」 とならざるを得ない状況だ。その結果、行政が関わった再開発ビルなどでは、そのほとんどが経営に苦しんでおり、行政の出先機関で空き店舗を埋めている状況にある。その一方で、金沢では民間資本での街づくりが増えつつある。こういった点でも、富山の街づくりは遅れてる状況だ。今後、いかにして 「民間での街づくり」 を実現させられるかが、鍵となるだろう。


<かつて計画された市街地再開発構想>


 富山市の市街地再開発構想は、かつて大型のものが、いくつも計画されていた。そのひとつに、城址大通りに一大地下街を造ろうというものだ。JR富山駅から平和大通りの間、約千三百メートルに幅20メートルの地下街を建設しようというもの。昭和63年頃に大手ゼネコンで構想され、事業費は312億円とも言われた。通路の両側には店舗を配し、天井はアーチ型として、ゆとりのある空間が検討され、各交差点下には6つの地下広場も設けるというスケールの大きなものだった。しかし、その実現には至っていない。

 また、昭和58年頃には、富山駅周辺の3街区で再開発構想があった。現マリエが建つ駅東街区は、国鉄宿舎と地鉄用地跡地。当初は、売り場面積3万平米を超える百貨店誘致を目指していたが、富山県に興味を示す大手百貨店がなく、ファッションテナントビルとなった。売り場面積も計画を縮小して1万平米弱となり、当初計画にあった地下階も取りやめとなる。現CICが建つ須田街区も、当初は売り場面積2万5千平米規模の百貨店誘致を目指していたが、こちらも誘致に失敗。金沢の丸越百貨店やスーパー系のジュニア百貨店などにも誘致を試みたが、結局は実現しなかった。こちらもファッションテナントビルとビジネスホテルとなる。だが、ファンションテナントは、先行してオープンしたマリエよりも売り場面積がさらに小さく7千平米弱の規模となった。この中途半端な売り場面積が、その後の経営難となり、破綻へ追い込まれる。最後の西街区は、飲食・レジャー・ブライダル系の再開発ビルを目指すも、こちらもビジネスホテルとなった。
 このように、富山市の市街地再開発構想は、いずれもうまくいかなかった。その原因は、富山が商圏として魅力を感じてもらえないかったという事ではないだろうか。もし、昭和30年代に構想された、市町村合併による百万都市構想が実現していたならば、まったく違った結果となっていただろう。現代において、過去の失敗を反省する必要がある。その反省にたって都市戦略を立案しないと、富山市の中心商業地は再生することができない。
 富山の場合は、街を演出する事も苦手としている。再開発ビルは箱を造るだけで、「魅せる」 という部分が無い。金沢の街づくりは、香林坊の再開発ビルや金沢駅高架下の百番街のように、ビルの外や中には水辺空間を造り、通路や道もカーブや高低差を設けて、街に変化を持たせている。だから、歩いていて楽しく感じるのだ。東京・渋谷のスペイン坂や原宿・竹下通りが人気なのも、街に変化があるからである。
 

↑ 世界遺産ドイツブレーメンのマルクト広場

<商業エリアの5点セット整備を>

 また魅力的な商業エリアをつくる場合に欠かせないにが『商業5点セット』だ。それは、「百貨店」・「ファッションテナントビル」・「DIY(生活雑貨)ビル」・「エンターテイメント施設」・「飲食ゾーン」 である。
 富山県は、"日本一" デパートが少ない県(売り場面積)と言われてきた。にもかかわらず、県都から西武百貨店が撤退した事で、大和百貨店のみとなっている。魅力的な商業エリア構築には、新規の百貨店誘致が最重要課題と言えるだろう。もちろん、もう百貨店の時代ではないという見方もある。既に、県庁所在地でありながら、百貨店ゼロの都市もではじめているからだ。また、大都市でも百貨店の撤退が相次いでいる。その要因は、インターネットショッピングの普及というものがある。いまや、百貨店が成り立つのは、百万都市でないという状況になってきた。だが、過去の教訓から考える必要がある。例えば、人口が減って経営が成り立たないとして、地方から鉄道がなくなれば、その地域はさらに人口減少となり街自体がなくなる。衰退した商業地で、経営が成り立たないとして、核となる魅力的な施設が撤退した商業地では更に衰退してきた。こういう事態は、県都では起こらないと行政や関係経済界は思っていただろう。しかし、そういう事はないのだ。県都ということに胡座をかいていると、衰退は確実に進む。そして、全国的な状況と富山市も同じだから仕方ないとなれば、都市間競争の中で富山市が埋没するだけだろう。
 魅力的な百貨店と言えば「伊勢丹三越・丸井・高島屋」 。ファッションテナントビルと言えば、「109(東急系)・ルミネ(JR東日本系)・ラフォーレ原宿(森ビル系)・PARCO」。DIY系ビルとしては、「ロフト・ハンズ」 などがあげられる。エンターテイメント施設としては、シネマコンプレックスやライブハウス、ミニテーマパーク的なアミューズメント場、演劇場、スポーツ競技場などが考えられる。このような魅力的な施設を、ひとつ、ふたつと実現していかなければならないだろう。

<富山総曲輪西町>

 総曲輪アーケードは徹底的にモール化し、現在のアーケードを一新させて、天井を高く(3階)そして透明度を高めて明るい通りとする必要がある。また水辺空間や、途中途中に広場空間を設けて、人が滞留できるスペースを設けたいものだ。各店舗は、出入り口の仕切りを低くする工夫を研究してもらいたい。モール化の手本としたいのが、キャナルシティ博多だ。単なるショッピングモールではなく、ビジネスからエンターテイメント、そして憩いの空間まで整備された街であり、是非参考になるだろう。また、西武百貨店撤退跡地はマンションになったが。中央通りで計画されたいた商業ビルも中央大手資本の誘致がかなわず、結局はこちらもマンションとなってしまった。西武跡地のマンションには、小さな商業施設が併設されたが、中途半端な売り場面積ということもあり、テナントが埋まっていない状況だ。移転新築された大和富山店も、売場面積が2万5千平米程度と決して大きいとはいえない。富山市の中心商圏を維持していく為にも、総曲輪西町の魅力を高めないといけないだろう。
 中央資本の魅力あるテナントを総曲輪に誘致する為に、商店街としては全国にあまり例がない東京事務所の設置を図ったり、商店街の株式会社化 (NPO法人化) を目指す事も検討する必要があると考える。

 また、富山市は金沢や高岡のような和の都市とは違う "街のトーン" づくりを意識して行う必要がある。例えば、路面電車の本場、欧州を参考にした石づくり風の景観を目指してはどうだろうか。いかにして、街の風景に個性を持たせるかが、これからの課題と言える。
 富山の街は、県外の観光客やビジネスマンから、「夜が暗くて寂しい」 ともよく言われる。つまり、富山に来ても、商業的につまらなく魅力がないという事だ。その一因として考えられるのは、歓楽街 (飲み屋) が裏通りに集中している点もある。今後は、札幌の 「すすきの」 をモデルに、堤町通り (一番町-総曲輪-堤町) に飲み屋街を集中させ、「中教院」 をブランド名とした、夜の明るい歓楽街を目指す事も考えたいものだ。勿論、都市型ホテル・ビジネスホテルの貼り付けによる大通りのビル化や、家電量販店の誘致・大型ビジョンの設置も進めるなどの、「華やかさの演出」 は欠かせないであろう。
 

↑ 東京銀座  → JR札幌駅「JRタワー」


 新規の観光スポットを整備する必要もあるだろう。例えば、中教院に県内外の有名すし店を集めた一角を整備して、「越中すし小路」 (15店舗規模) とすることで、全国に売り出すことも検討してもらいたい。富山県では、「富山湾寿司」などで寿司を新たな富山のブランドにしようとしている。ただ、現状では圧倒的な都市ブランド力がある金沢の陰となり目立っていない。北陸の海の幸といえば、金沢の近江町市場が連想され、富山はその壁を破れないでいる。新しい名所をどう創り演出するかが、富山の大きな課題となっている。

 路面電車の環状線を更に強化する必要もある。大手モール・国際会議場・市民プラザ・全日空ホテル・大和百貨店を活かすという点で、大手モールの「トランジットモール化」が必須だと考える。路面電車乗り入れに伴なって自動車を締め出し、歩行者と公共交通だけの通り 「トランジットモール化」 が実現できれば、大手モールを中心に、魅力的な商業施設の貼り付けを進めることができるだろう。
 現在は、不定期で歩行者天国のイベントを開催しているが、その盛況ぶりから集客力の高さを示している。周辺住民の理解が必須とはなるが、日本で最初の本格的な「トランジットモール」が実現できれば、富山市のブランド化に繋がるだろう。
 

↓JR博多シティ  <参考サイト>
 ○ららぽーと
 ○渋谷109
 ○ルミネ
 ○ラフォーレ原宿
 ○パルコ
   パルコシティ(沖縄浦添)
 ○LOFT
 ○タカシマヤ
 ○丸の内ビルディング
 ○お台場 ヴィーナスフォート
 ○上野 アメ横
 ○神戸モザイク
 ○キャナルシティ博多
 ○ホークスタウン
 ○JRタワー(JR札幌駅)
 ○JR名古屋駅セントラルタワーズ
 ○JR京都駅ビルJR京都伊勢丹
 ○金沢 近江町市場
 ○サンポート高松
 ○小樽「出抜小路」
 ○川越「菓子屋横丁」
 ○伊勢「おかげ横丁」
 ○松本 蔵のある街「中町」
 ○豊後高田「昭和の町」(大分県)
 ○湯布院「やすらぎ湯の坪横丁」 ○さっぽろ地下街札幌駅アピア
 ○新宿地下街 サブナード
 ○横浜地下街ポルタ
   ⇒ザダイヤモンド

 ○川崎駅地下街 アゼリア
 ○名古屋地下街テルミナ
   ⇒ユニモール

 ○神戸地下街(さんちか・デュオ)
 ○広島地下街 シャレオ
 ○天神地下街(福岡)
   ⇒天神サイト


 <富山駅前>

 新幹線で富山駅に降りる訪問客は、富山駅周辺で過ごす駅滞在時間は極めて短い。およそ30分から最大1時間半ほどだ。一方、金沢駅では、駅周辺が目的地化されており、想定される駅滞在時間は、1時間から最大4時間程度だ。富山駅周辺でも、滞在時間をいかに延ばすかが、これからの課題と言える。
 
 駅滞在時間が長い金沢駅周辺では、大型商業施設の誘致が進んでいる。既に駅東口には、JR西日本が誘致したイオン系のファッションテナントビル 「フォーラス」 とシネコンが2006年秋にオープンした。売り場面積が約1万8千m2。バスターミナルに面するビル壁面には、横9メートル縦5メートル(約45平方メートル)の大型ビジョンも設置され、一気に駅前が華やぐことこととなった。
 更に、駅西口でもJR西日本のホテルと商業ビル「百番街くつろぎ館」がオープン。また、新幹線開業に合わせ、駅の高架下にファッションゾーン『リント』が3倍に増床され、金沢駅の商業面積は『あんと』とあわせて、約2万5千m2に拡大した。このように、圧倒的な商圏力を金沢が身につけたが、それとは対照的に、富山駅周辺の商業面積は伸び悩んでいる。富山駅周辺でも大型商業圏の確立は急務だろう。特に気を付けないといけないのは、金沢駅周辺と同じような商業施設をつくっても魅力がない事だ。如何に、金沢駅とは差別化・個性化させるかが重要ではないだろうか。
 


<郊外商業施設と中心商業施設の役割は違う>

 富山駅周辺でも、広域から誘客を期待できる商業資本の誘致を期待したい。また、富山駅は人の動線が極めて悪い。この改善には、各ビルを2〜3階で結ぶペデストリアンデッキの設置が必要だと考える。富山駅を軸に、駅前周辺をコリドー型に取り囲むペデストリアンデッキの実現だ。これによって、人々を駅前道路を挟んだCIC側にも向かわせる事が可能となるだろう。
 富山駅前には、JR西日本が中心に商業施設の再編が進んでいる。新しく商業施設として『マルートとやま』が開業した。残念ながら売り場面積は4千平米ほどで、かなり狭い商業施設となったため、持続可能の商業施設となるのか心配である。また、同じ資本の『マリエとやま』のリニューアルも不透明な状況だ。『マルートとやま』と差別化を図るためにも、『マリエとやま』には目玉となるキーテナントを期待したい。たとえば、ヨドバシカメラが入居すれば、少しは魅力的となるだろう。さらに、CICもJR西日本で再生を目指すことを検討すべきと考える。CICを今一度、商業施設として再生できれば、富山駅前は魅力的なゾーンとなる可能性もある。CICの地下1階から3階までを商業ゾーンとして再構成させ、ここにもキーテナントとして、マルイの誘致を目指してもらいたい。マリエ・マルート・マルシェ・マルイと『4M』エリアが完成すれば、広域商圏としての可能性も出てくるだろう

 また、駅北ゾーンでは、日本海の幸が一堂に集まる、欧州型の大規模市場を設けたいものだ。金沢の近江町市場に負けない、市民が日頃から買物ができるような大衆市場を目指す事ができれば、富山駅を観光駅とする事も不可能ではないと考える。
 

↑JR新宿駅南口のルミネ前
↑ブタペストの中央市場

<郊外大型店対策の見直し>
JR金沢駅周辺の開発が進み、各セグメントが埋まってきた。未開発スペースも、大幅に減少している。

 中心地に魅力的な商業エリアがあるのは、とても重要である。しかし、これまでブランド力の高い中央大手の流通資本や高級ブランドショップは、富山県に興味を持ってこなかった。それは、富山県自体に都市としての魅力、つまり「ブランド力」が無かったからだと言える。この傾向はハンザ都市や政令市を実現させない限り、今後も続いていくあろう。
 一方、富山市周辺では、郊外大型店の立地も進んでいない。現状、ファボーレ婦中・アピタ富山インター店・アピタ富山東店の3店のみだ。金沢市周辺(現状12店舗)に比べれば、比較にならない規模しかない。
 売り場面積に換算すれば、富山の郊外大型店が6万5千m2 に対して、金沢の郊外大型店は35万m2にも及ぶ。その差は、実に富山市側の6倍近くの商業施設規模だ。中心部の大型商業店舗でも、富山市が4店舗で売り場面積4万5千m2 に対して、金沢市は7店舗で売り場面積14万千m2 と、こちらも3倍を超える差があり、大きく水を開けられている。中心商業地と郊外商業地の合わせた売場面積でみると、金沢は49万m2に対して、富山市側はわずか11万m2しかない。
 現在、富山金沢間の高速バスが好調であるが、その殆どが、富山から金沢への買い物客だと言われている。北陸新幹線開業後は、さらに富山市の消費者が金沢へと買い物客が流出しているのだ。
 

↑ イタリアミラノのガレリア
↑旭川の「買い物公園通り」(歩行者専用道路)

<「規制」 より 「大手資本の取り込み」 策が重要>

 富山市の場合、郊外の大型商業施設立地に対して、中心商業地域の警戒感は強い。そういった中、富山市をはじめ富山県までもが中央商店街保護という名目で、郊外大型店の出店規制を行ってきた。しかし、行政規制による 「束縛された商業エリア」 では、更に街の魅力を落とすことになった。特に、金沢との商業競争で大きく水を開けられている状況で、富山市の郊外大型店規制は、商業レベルを致命的に衰退させた結果となっている。今後は、規制は慎重す行うべきだろう。行政には、都市間競争を意識した戦略性のある対応を求めていきたい。
 本来、中心商業地の活性化は、郊外大型店の問題とは別次元で考えるべきだ。仮に、郊外大型店の出店規制を掛けるとしても、鉄道駅周辺 (駅の大小に関わらず、駅の半径1キロ以内) に限り、出店規制(売り場面積・業態・営業時間)を全く掛けないような処置をとるなど、資本側の目線で誘導を考えないとイケナイ。勿論、郊外大型商業施設に対しても、魅力あるものでなければ、富山県には必要ないというスタンスも取るべきであろう。中央商業地が魅力がないのに、郊外大型店も単なるスーパーだけではあまりにも魅力が無いことになってしまうからだ。
 例えば、新規の郊外超大型店には、「2核1モール化」 (百貨店機能設置) を義務付け、専門店の40%以上を地元資本とさせたり、周辺都市を含めた中心商業地との間に、パークアンドライド機能を持たせた 「送迎用コミュニティバス (30分毎1本以上) の運行」 なども義務付けさせたりすべきだろう。

 これからは、中途半端な商業施設・商業エリアでは、淘汰されるのは間違いない。単に 「郊外大型店は中心商業地にダメージを与えるから "ケシカラン" 」 という時代ではない。努力と工夫をして、将来に渡った計画を持っているところだけが生き残っていく。100年経っても、廃れないデザイン性の高い都市づくり。富山の商業界も切磋琢磨してもらいたい。
 

 
↑東京有楽町マリオン
西武百貨店と阪急百貨店が入居。両百貨店を挟んで中央に吹き抜けの公共通路がある