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日本版都市国家「越中都ーあい都ー」の実現を提案するホームページです。
<注意>このホームページは、あくまでプライベートサイトであり、いかなる団体・企業とも関係がございません。
当サイトで使用した画像及びデータの無断転載は禁止いたします。このサイトの主宰は、炭谷壮一(映像作家/街ニスト)です。
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<文化の違いが、大都市の魅力になる>
富山市と高岡市は、戦後からの政策で『一都市化』を目指してきた経緯があり、国策の新産業都市やテクノポリス構想の指定を受けてきた。両市の中間エリアには、富山新港・太閤山ニュータウン・県立大学なども整備され、富山高岡広域都市圏としての市街化調整区域も行い、『複眼都市』とも言われている。その富山市と高岡市が合併する事は、不思議なことでは無いはずだ。
また富山市と高岡市では、文化がかなり違うので、合併は難しいのではという意見もあるが、東京では下町と山の手で文化が大きく異なり、大阪では浪速と河内、福岡でも博多と福岡というように、大都市では文化の違いは付き物と言える。むしろ、いろんな文化を持ってる方が、大都市としての魅力になるとも言えるのだ。問題なのは、『やるか、やらないか』の違いなのである。
富山県はかつて昭和45年あたりまでは、石川県より人口が多かった。しかし人口は逆転し、その後は石川県と富山県の人口差は開く一方だ。1997年の人口統計では、石川県が人口118万人、富山県は人口112万人と6万人もの差がついてしまった。1990年に出された全国の人口推移予測では、石川県の2000年人口は117万人を想定されていたのだが、3年も残す内に予測人口に達した。そして、石川県の人口増加のほとんどが金沢市周辺である。一方、富山県は予測通り、人口は停滞推移となっているのが現実である。富山県は、この人口停滞傾向に対して、大同団結で打ち破る必要がある。
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大富山市・大高岡市という「2大都市」をまたつくるのではなく、隣県に対抗できる「大同団結都市」をつくる事は、将来の都道府県再編成(道州制)に備える事にも繋がってゆく。
平成の大合併に際しては、政令指定都市の昇格が緩和された。これは「市町村合併特例法」の期限が切れる2006年3月までに合併し(2005年4月までに合併届出が必要)都道府県か ら「合併重点支援地域」に指定された市町村が対象で、将来の人口増のめどにはかかわりなく、人口70万人以上の都市となれば政令市へ昇格できるものだった。この方針は、静岡市と清水市の合併を想定したものであり、両市の合併後の人口は714,266人、面積が1,373.78km2となっている。
その後も、2010年までは、人口70万以上の合併で政令市に昇格できる要件緩和が延長されたが、現在は廃止されている。富山県としては、政府に要件緩和を再度求めていかなければならないだろう。
<新幹線時代に「大越中市」(政令指定都市)の実現を>
2005年、新富山市・新高岡市・射水市が誕生したが、この3市を軸に、再度大同合併を行う事を検討したい。これからの新幹線時代に、大都市「大越中市」を生み出すことで、今まで蔑ろにされていた富山県が、大きく見直される可能性がでてくるのではないだろうか。
そこで当サイトでは、現時点における合併進行状況を踏まえつつ、政令指定都市を目指した合併パターンを提案してみた。
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<政令市の誕生は「富山県庁」も強くする>
いま、富山県の財政は、大変厳しい状況にある。新たな大きい事業は、富山県としては起こせない。
しかし、もし政令指定都市「大越中市」が誕生すれば、富山県に頼ることなく、政令市単独でも事業を起こすことが出来るようになる。例えば、富山駅の連続立体高架化事業なども、政令市として整備を進めることが可能となるのだ。
また、国の直轄事業も増える。国の財政も近年厳しくなり、多くの事業が大都市圏に集中投資される傾向となってきた。空港整備や都市整備が、政令市になれば独占的あるいは優先的に行われるのである。
さらに、政令指定都市になれば、行政による開発に頼らなくても、民間による投資や開発が各段に上昇する事となる。段違いの都市成長パワーが、政令市にはあるのだ。
富山県に政令市が誕生すれば、行政が何もしなくても、「勝ってに都市が成長する」事となるだろう。
例えば、民間企業の地方進出基準が、いまや政令市であるかどうかである。大手百貨店などは、地方都市からの撤退が進む一方で、近年では政令市を中心とした大都市圏への進出が続いている。この他、パルコや東急ハンズといった著名な商業施設なども、地方進出の基準が、政令市以上の大都市圏に限っている状況だ。つまり、富山県に政令市が誕生すれば、富山県が抱える多くの問題が解決できるのである。また、雪深い富山県にとっては、若者手が足りないことで高齢者の雪害への対応ができない状況ともなってきている。過疎の進む富山県に、政令市があれば、若者層を富山県に貼り付けることも可能となる。
財政難に苦しむ富山県にとっても、更に発展が滞っている富山市や高岡市にとっても、政令市の誕生は起死回生のチャンスとなるだろう。
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<大越中市は「北信越」の中心都市へ>
大越中市は、北陸の中心都市ではなく、北信越の中心都市を目指したい。
北陸では経済力が300万人足らずで、一つのエリアとしては小さすぎる。また金沢市がある以上、地理的に大越中市は不利だ。しかし、北信越にエリアを広げて考えると、人口は750万人と倍以上に膨らむ他、地理的に見ても大越中市は北信越の中心的都市に必ずなれる。
今まで北信越がひとつの経済圏となれなかったのは、北アルプス山脈や親不知という難所があった為だが、高速交通網の整備が進んでいけば、北信越はひとつの経済圏として確立できる。そして、大越中市が北信越の中心都市だとアピールしていく事によって、中央大手企業の北信越統括事務所の誘致を有利に展開することが出来るであろう。また、北信越に本拠地を構える企業も、大越中市に本社を移転する事を検討するようになると考える。
更に、誘致に取り組みたいのが『中央官庁の出先機関』である。
現在、国の出先機関は、金沢市・新潟市・長野市とばらばらに配置されている。金沢市には、財務・郵政・農政・労務。新潟市には、建設。長野市には、郵政。富山市には、残念ながら国の出先機関はない。かつて北陸通産局の設置で、富山市と金沢市が熾烈な誘致合戦を繰り広げられた結果、北陸通産局は見送られた経験がある。しかし、大越中市ができれば、北信越の中枢管理都市として、国の官庁出先機関の誘致に期待がもてるようになる。北信越が、交通網の整備などで『ひとつの経済圏』として確立し、企業の北信越事務所誘致が進んでいけば、これを当然の流れとして国の出先機関のエリア分け見直し、大越中市への出先機関集中を図れるのではないだろうか。
まずは、日本道路公団北陸支社・気象庁の管区気象台・NHKの北信越統括支社など国の外郭関係機関の誘致から取り組む事を考えたい。
<"超保守的な地域(三流都市)からの脱却>
富山県は、変化を求めない"超保守的な地域"とも言われている。その為、思い切った事や新しい事案に取り組む事が極端に少ない。富山県民は、「そういった事は、富山では無理やちゃ」「富山は、これで十分やちゃ」となってしまう。この"超保守的"で"超閉鎖的"になってしまったことには、それなりの理由がある。本来、富山県人すべてが"超保守的"で"超閉鎖的"という訳ではなかったのである。積極的な考えや行動的な人材も、もちろんいた。かつての富山県人が創った大企業が、多く存在する事からも裏付けられる。問題なのは、そういった先進的・革新的な人材のほとんどが、富山を離れて東京へ流れている事だ。これは、見方を変えれば、富山県内では、先進的・革新的なことが出来ないということから富山を見限ざるを得なかったということなのである。
一方、富山に残った人達は、先進的・革新的よりは、安定・安心を求めた人達となる。あるいは、先進的・革新的なことをしたいと思っても、家や土地あるいは親(仕来り)を守るために残らざるを得なかった人達が多いともいえる。そういう人達が多いとなれば、自然と富山県が"超保守的な地域"となってしまったのも、不思議ではないであろう。世間体を気にして、人並を求め・変わった(奇抜)事を嫌い・当り障りのない行動を選ぶといった傾向は、勤勉・生真面目の富山県民を現していると言える。叱咤激励や影口はあっても、失敗しても思い切って自由に生きてみなさいという空気が少ないのだ。その結果として、富山には一流とよばれるものが、ほとんど無く(自然を除いて)、一流を目指すという風潮もない。富山は、残念ながら三流県と言わざるを得ないのである。
戦後、大量生産の高度経済成長時には、超保守的な富山県民気質は有効であった。しかし、これからの経済・産業は、情報・知的生産へと移行しつつある。より柔軟な発想力とスピードある革新的な取り組みが求められているのだが、変化を求めない現状の富山県民気質では対応できないであろう。このことは、少子化と相まって、更に富山県の衰退を加速することとなる。
<”基幹都市”(フラックシップシティ=政令指定都市)づくり>
今、富山県に求められるべきことは、客観的にみて(全国レベルにたって)、そして長期に渡って”魅力と感じられる基幹都市”(フラックシップシティ=政令指定都市)を生み出せるかどうかに掛かっている。他地域から人を呼び込み、また、富山県人も「富山で新しい事が出来るんだ」と感じられるような"革新的な都市づくり"をしなければならない。その為には、いま富山に残っている県民の「大胆な意識改革」が必要なのである。富山で政令指定都市が出来るかどうかは、これからの富山県が生き残れるかどうかに直結してることを認識して頂きたい。行政戦略をはじめ、あらゆる面で中途半端な取り組みが多い富山県。現在は"三流都市"であることを、きちっと自覚して、いかにそこからの脱却を図るかを、真剣に考える時に来ているのだ。
現在の政令指定都市は、札幌市・仙台市・新潟市(2007年移行)・さいたま市・千葉市・川崎市・横浜市・相模原市(2011年移行)・静岡市・浜松市(2008年移行)・名古屋市・京都市・大阪市・堺市(2006年移行)・神戸市・岡山市(2009年移行)・広島市・北九州市・福岡市・熊本市(2011年移行)の18都市がある。富山県が、これらの地域に負けないで、政令指定都市を生み出すことができるかどうか、行政の手腕が問われてくるであろう。
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